日本
- 名前
- 髙橋礼華
- ふりがな
- たかはし・あやか
- 英語表記
- TAKAHASHI Ayaka
- 生年月日
- 1990年4月19日
- 出身
- 奈良県
- 身長
- 165cm
- 利き腕
- 右
- 血液型
- A
- 所属
- 日本ユニシス
- 出身校
- 聖ウルスラ学院英智中-聖ウルスラ学院英智高
- 世界最高ランキング
- 1位/女子ダブルス
幼少時代
父は野球、母はバドミントンの経験者。母の影響でバドミントンを始める。「姉の礼華も妹の沙也加も手のかからない赤ちゃん。姉はおとなしく、妹はどこか激しさのある子どもでした」(母)「礼華は小さい頃から我慢強くて思いやりのある子でした。スポーツをするよりも文科系なのかな、と思っていた」(父)。
小学生時代
小4のときに妹とともに全国小学生ABC大会に出場。初の全国大会(Bクラス)ながら決勝まで進出して見事優勝を飾った。「大会前は優勝すると思っていなかったし、ただガムシャラにシャトルを追ってコートの中を走り回っただけ。でもその優勝が家族も本気で私をバドミントンをやらせようと考えたきっかけになったようです」(本人)。5、6年生のときは全国小学生大会でシングルスに出場して連覇を達成。
中学生時代
中学は地元・奈良から宮城県の強豪・聖ウルスラ学院英智中に進学。中1の冬にヘルニアになり、中3では全国中学校大会団体優勝を果たすものの、ケガの影響などで個人は好成績を残すことができなかった。「小学生のときに無理したツケがでてきたのか、中学生の頃に腰のヘルニアになりました。でも、髙橋からは私にヘルニアだという話もしたことがないし、痛みがあっても痛いといわない。弱音を吐いたことも一度もありませんでした」(田所光男監督)。
高校生時代
高校も聖ウルスラ学院英智高に進学。高2のときに現在のパートナー・松友とペアを組み、急成長。「松友とは最初から組んだ感じがよかったです。松友は元々パワーがあるほうではなく、私が逆にガンガンスマッシュを打つタイプ。それがしっくりきてローテションもうまくできた。私にないものを松友が持っていて、松友にないものを私が持っていた」(本人)。キャプテンとなった後は選抜で団体・ダブルス優勝を飾ると、高3でもインターハイで団体・ダブルスを制し2冠を達成した(松友は3冠)。「髙橋は親分肌の性格で威張るわけではないけれど、頼られたり、注目されたりすると頑張るタイプ。とくに団体戦では2-2などの競り合ったスコアになったときに発揮されます」(田所監督)。
■バドミントン・マガジン
2012年12月号「court curising」より
2009年9月号「CHECK POINT」より
2008年11月号「家族の記録」より
父は野球、母はバドミントンの経験者。母の影響でバドミントンを始める。「姉の礼華も妹の沙也加も手のかからない赤ちゃん。姉はおとなしく、妹はどこか激しさのある子どもでした」(母)「礼華は小さい頃から我慢強くて思いやりのある子でした。スポーツをするよりも文科系なのかな、と思っていた」(父)。
小学生時代
小4のときに妹とともに全国小学生ABC大会に出場。初の全国大会(Bクラス)ながら決勝まで進出して見事優勝を飾った。「大会前は優勝すると思っていなかったし、ただガムシャラにシャトルを追ってコートの中を走り回っただけ。でもその優勝が家族も本気で私をバドミントンをやらせようと考えたきっかけになったようです」(本人)。5、6年生のときは全国小学生大会でシングルスに出場して連覇を達成。
中学生時代
中学は地元・奈良から宮城県の強豪・聖ウルスラ学院英智中に進学。中1の冬にヘルニアになり、中3では全国中学校大会団体優勝を果たすものの、ケガの影響などで個人は好成績を残すことができなかった。「小学生のときに無理したツケがでてきたのか、中学生の頃に腰のヘルニアになりました。でも、髙橋からは私にヘルニアだという話もしたことがないし、痛みがあっても痛いといわない。弱音を吐いたことも一度もありませんでした」(田所光男監督)。
高校生時代
高校も聖ウルスラ学院英智高に進学。高2のときに現在のパートナー・松友とペアを組み、急成長。「松友とは最初から組んだ感じがよかったです。松友は元々パワーがあるほうではなく、私が逆にガンガンスマッシュを打つタイプ。それがしっくりきてローテションもうまくできた。私にないものを松友が持っていて、松友にないものを私が持っていた」(本人)。キャプテンとなった後は選抜で団体・ダブルス優勝を飾ると、高3でもインターハイで団体・ダブルスを制し2冠を達成した(松友は3冠)。「髙橋は親分肌の性格で威張るわけではないけれど、頼られたり、注目されたりすると頑張るタイプ。とくに団体戦では2-2などの競り合ったスコアになったときに発揮されます」(田所監督)。
■バドミントン・マガジン
2012年12月号「court curising」より
2009年9月号「CHECK POINT」より
2008年11月号「家族の記録」より