日本
- 名前
- 田児賢一
- ふりがな
- たご・けんいち
- 英語表記
- TAGO Kenichi
- 生年月日
- 1989年7月16日
- 出身
- 埼玉県
- 身長
- 176cm
- 体重
- 72kg
- 利き腕
- 右
- 血液型
- O
- 所属
- NTT東日本
- 出身校
- 埼玉栄中-埼玉栄高
- 世界最高ランキング
- 3位/男子シングルス(2014年4月3日付)
◆小学
◆中学
◆高校
◆大学
※SS、SSP、SSFの上位成績
年 | 大会名 | 学年 | 種目 | 成績 | ペア |
00年 | 全国小学生(5年生以下の部) | 5年 | 男子D | 優勝 | 松丸一輝 |
◆中学
年 | 大会名 | 学年 | 種目 | 成績 | ペア |
03年 | 全国中学校 | 2年 | 男子D | 優勝 | 松丸一輝 |
04年 | 全国中学校 | 3年 | 男子D | 優勝 | 松丸一輝 |
◆高校
年 | 大会名 | 学年 | 種目 | 成績 | ペア |
05年 | 全日本ジュニア選手権 | 1年 | 男子D | 優勝 | 松丸一輝 |
06年 (1年) |
全国高等学校選抜 | 1年 | 男子S | 優勝 | |
男子D | 優勝 | 松丸一輝 | |||
アジアジュニア選手権 | 2年 | 男子S | 優勝 | ||
インターハイ | 2年 | 男子S | 優勝 | ||
男子D | 優勝 | 松丸一輝 | |||
スラバヤサテライト | 2年 | 男子S | 4強 | ||
世界ジュニア選手権 | 2年 | 男子S | 8強 | ||
男子D | 8強 | 松丸一輝 | |||
全日本総合選手権 | 2年 | 男子S | 8強 | ||
07年 (2年) |
スウェーデンOP | 2年 | 男子S | 優勝 | |
インターハイ | 3年 | 男子S | 優勝 | ||
男子D | 優勝 | 松丸一輝 | |||
世界ジュニア選手権 | 3年 | 男子S | 準優勝 | ||
全日本総合選手権 | 3年 | 男子S | 8強 | ||
08年 | スコットランドOP | 3年 | 男子S | 優勝 | |
韓国国際 | 3年 | 男子S | 準優勝 |
◆大学
年 | 大会名 | 学年 | 種目 | 成績 | 備考 |
08年 | 大阪国際 | IC | 男子S | 8強 | |
カナダOP | IN | 男子S | 8強 | ||
インドネシアOP | SS | 男子S | 4強 | ||
ベルギーOP | IN | 男子S | 優勝 | ||
YONEX OPEN JAPAN | SS | 男子S | 4強 | ||
中国マスターズ | SS | 男子S | 8強 | ||
全日本総合選手権 | 男子S | 優勝 | 最年少優勝(19歳4カ月) | ||
09年 | シンガポールOP | SS | 男子S | 16強 | |
マレーシアOP | GPG | 男子S | 8強 | ||
デンマークOP | SS | 男子S | 16強 | ||
フランスOP | SS | 男子S | 16強 | ||
香港OP | SS | 男子S | 4強 | ||
全日本総合選手権 | 男子S | 優勝 | 2連覇 | ||
10年 | 全英OP | SS | 男子S | 準優勝 | ※日本選手として44年ぶりに決勝進出 |
アジア選手権 | GPG | 男子S | 4強 | ||
インドネシアOP | SS | 男子S | 8強 | ||
YONEX OPEN JAPAN | SS | 男子S | 16強 | ||
全日本総合選手権 | 男子S | 優勝 | 3連覇 | ||
11年 | マレーシアOP | SS | 男子S | 8強 | |
韓国OP | SSP | 男子S | 8強 | ||
全英OP | SSP | 男子S | 16強 | ||
インドOP | SS | 男子S | 16強 | ||
インドネシアOP | SSP | 男子S | 16強 | ||
YONEX OPEN JAPAN | SS | 男子S | 8強 | ||
フランスOP | SS | 男子S | 準優勝 | ||
中国OP | SS | 男子S | 16強 | ||
マカオOP | GPG | 男子S | 8強 | ||
全日本総合選手権 | 男子S | 優勝 | 4連覇 | ||
12年 | マレーシアOP | SS | 男子S | 準優勝 | |
韓国OP | SSP | 男子S | 8強 | ||
全英OP | SSP | 男子S | 4強 | ||
シンガポールOP | SS | 男子S | 16強 | ||
ロンドン五輪 | 男子S | 予選G敗退 | |||
YONEX OPEN JAPAN | SS | 男子S | 1回戦敗退 | ||
デンマークOP | SSP | 男子S | 16強 | ||
フランスOP | SS | 男子S | 4強 | ||
中国OP | SSP | 男子S | 8強 | ||
香港OP | SS | 男子S | 4強 | ||
全日本総合選手権 | 男子S | 優勝 | 5連覇 | ||
13年 | マレーシアOP | SS | 男子S | 4強 | |
全英OP | SSP | 男子S | 16強 | ||
インドOP | SS | 男子S | 準優勝 | ||
シンガポールOP | SS | 男子S | 16強 | ||
中国マスターズ | SS | 男子S | 8強 | ||
YONEX OPEN JAPAN | SS | 男子S | 準優勝 | ||
デンマークOP | SSP | 男子S | 16強 | ||
フランスOP | SS | 男子S | 準優勝 | ||
中国OP | SSP | 男子S | 16強 | ||
香港OP | SS | 男子S | 8強 | ||
全日本総合選手権 | 男子S | 優勝 | 6連覇 | ||
スーパーシリーズファイナル | 男子S | 4強 | |||
14年 | 韓国OP | SS | 男子S | 4強 | |
マレーシアOP | SSP | 男子S | 4強 | ||
全英OP | SSP | 男子S | 8強 | ||
YONEX OPEN JAPAN | SS | 男子S | 4強 | ||
インドネシアOP | SSP | 男子S | 準優勝 | ||
アジア大会 | 男子S | 8強 |
SS上位進出数 | |
優勝 | 0回 |
準優勝 | 6回 |
4強 | 10回 |
幼少時代
父は元日本リーガーで、母・よし子は全日本総合女子ダブルス8度優勝、当時世界一を決める全英OPでも同種目で優勝するなど、バドミントン界の女傑として名を馳せた名選手。幼少時代には母が所属していたNTT東日本の体育館を遊び場としていたため、自然とラケットを握り始めた。「親がやっているのでいつの間にかやっていた。いつかは覚えていないです」(本人)。
小学生時代
全国小学生大会5年生以下の部・男子ダブルスを制し、その名を全国に知らしめた。この頃から非凡なセンスを見せており、とくにネット前の技術(ヘアピンなど)は同世代の選手の中でも群を抜いていた。当時からその才能を買われており、将来の日本代表候補としての評価も上がっていた。「田児は一発を打てる。速い球を持っているから攻撃的な面で相当いいものがあります。一生懸命やれば日本のトップで戦えるレベルの選手だと思います」(チャレンジャー・能登則男監督)。
中学性時代
中学校は地元の名門・埼玉栄を選択。ジュニア時代からペアを組む松丸一輝選手とともに、順調に成長した。中2で全国中学校大会ダブルスを制覇すると、中3となった翌年の全中も制し、史上初の同種目連覇を達成。「田児が素晴らしいのはバランスが崩れたときにでもなんとか相手のコートに返すラケットの感覚。それは壁打ちなどで磨かれたのでしょう。とにかく勝負強い。競って負けたシーンは観たことがありません。田児は別格で試合中に怒った記憶はほとんどありませんからね」(名倉康弘監督)。
高校性時代
埼玉栄高に進学。高1ながら夏のインターハイの団体戦に出場し優勝に貢献(個人戦は不出場)。全国選抜ではシングルス・ダブルス両種目で優勝を飾り、見事2冠を達成した。高2になると飛躍的に実力を伸ばし、インターハイ前に行なわれたアジアジュニア選手権で日本選手史上初となるシングルス優勝を決め、インターハイでもシングルス・ダブルスを制覇(団体は不出場)。「田児が世界で通用すると強く意識したのはアジアジュニアで優勝ができたことがきっかけです。正直勝てるとは思っていませんでしたが、そこをやり遂げてしまったのですから、本当に驚かされました」(大屋貴司監督)。高3ではインターハイ3冠、また世界への登竜門といわれた世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得した。高校生ながら日本代表にも選出された田児は、スウェーデン、スコットランドの国際大会で優勝を果たすなど、大人にまじっても好結果を出していた。
■バドミントン・マガジン
2012年8月号「恩師の記憶」より
2007年4月号「田児賢一 スーパー17歳のできるまで」より
2002年2月号「ジュニアランド」より
父は元日本リーガーで、母・よし子は全日本総合女子ダブルス8度優勝、当時世界一を決める全英OPでも同種目で優勝するなど、バドミントン界の女傑として名を馳せた名選手。幼少時代には母が所属していたNTT東日本の体育館を遊び場としていたため、自然とラケットを握り始めた。「親がやっているのでいつの間にかやっていた。いつかは覚えていないです」(本人)。
小学生時代
全国小学生大会5年生以下の部・男子ダブルスを制し、その名を全国に知らしめた。この頃から非凡なセンスを見せており、とくにネット前の技術(ヘアピンなど)は同世代の選手の中でも群を抜いていた。当時からその才能を買われており、将来の日本代表候補としての評価も上がっていた。「田児は一発を打てる。速い球を持っているから攻撃的な面で相当いいものがあります。一生懸命やれば日本のトップで戦えるレベルの選手だと思います」(チャレンジャー・能登則男監督)。
中学性時代
中学校は地元の名門・埼玉栄を選択。ジュニア時代からペアを組む松丸一輝選手とともに、順調に成長した。中2で全国中学校大会ダブルスを制覇すると、中3となった翌年の全中も制し、史上初の同種目連覇を達成。「田児が素晴らしいのはバランスが崩れたときにでもなんとか相手のコートに返すラケットの感覚。それは壁打ちなどで磨かれたのでしょう。とにかく勝負強い。競って負けたシーンは観たことがありません。田児は別格で試合中に怒った記憶はほとんどありませんからね」(名倉康弘監督)。
高校性時代
埼玉栄高に進学。高1ながら夏のインターハイの団体戦に出場し優勝に貢献(個人戦は不出場)。全国選抜ではシングルス・ダブルス両種目で優勝を飾り、見事2冠を達成した。高2になると飛躍的に実力を伸ばし、インターハイ前に行なわれたアジアジュニア選手権で日本選手史上初となるシングルス優勝を決め、インターハイでもシングルス・ダブルスを制覇(団体は不出場)。「田児が世界で通用すると強く意識したのはアジアジュニアで優勝ができたことがきっかけです。正直勝てるとは思っていませんでしたが、そこをやり遂げてしまったのですから、本当に驚かされました」(大屋貴司監督)。高3ではインターハイ3冠、また世界への登竜門といわれた世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得した。高校生ながら日本代表にも選出された田児は、スウェーデン、スコットランドの国際大会で優勝を果たすなど、大人にまじっても好結果を出していた。
■バドミントン・マガジン
2012年8月号「恩師の記憶」より
2007年4月号「田児賢一 スーパー17歳のできるまで」より
2002年2月号「ジュニアランド」より