日本
- 名前
- 桃田賢斗
- ふりがな
- ももた・けんと
- 英語表記
- MOMOTA Kento
- 生年月日
- 1994年9月1日
- 出身
- 香川県
- 身長
- 175cm
- 体重
- 72kg
- 利き腕
- 左
- 血液型
- A
- 所属
- NTT東日本
- 出身校
- 富岡第一中-富岡高
- 世界最高ランキング
- 1位/男子シングルス
■近況
2019年に国際大会11優勝を飾るなど、世界の頂点に君臨する絶対王者。20年1月には交通事故に巻き込まれ大ケガしたが、見事カムバックを果たした。鉄壁のディフェンス力を支えるのは精度の高いロブと正確無比なヘアピン。相手に主導権を握らせず自分のペースに持ち込みポイントを奪う。フィジカルも強くゲーム後半の底力も抜群。
2019年に国際大会11優勝を飾るなど、世界の頂点に君臨する絶対王者。20年1月には交通事故に巻き込まれ大ケガしたが、見事カムバックを果たした。鉄壁のディフェンス力を支えるのは精度の高いロブと正確無比なヘアピン。相手に主導権を握らせず自分のペースに持ち込みポイントを奪う。フィジカルも強くゲーム後半の底力も抜群。
■主な成績
2020年
マレーシアマスターズ/優勝
2019年
世界選手権/金メダル
WTファイナルズ/優勝
全英OP/優勝
ジャパンOP/優勝
中国OP/優勝
デンマークOP/優勝
シンガポールOP/優勝
2018年
世界選手権/金メダル
インドネシアOP/優勝
ジャパンOP/優勝
福州中国OP/優勝
2016年
インドOP/優勝
2015年
世界選手権/銅メダル
スーパーシリーズファイナル/優勝
インドネシアOP/優勝
シンガポールOP/優勝
2012年
世界ジュニア/金メダル
2020年
マレーシアマスターズ/優勝
2019年
世界選手権/金メダル
WTファイナルズ/優勝
全英OP/優勝
ジャパンOP/優勝
中国OP/優勝
デンマークOP/優勝
シンガポールOP/優勝
2018年
世界選手権/金メダル
インドネシアOP/優勝
ジャパンOP/優勝
福州中国OP/優勝
2016年
インドOP/優勝
2015年
世界選手権/銅メダル
スーパーシリーズファイナル/優勝
インドネシアOP/優勝
シンガポールOP/優勝
2012年
世界ジュニア/金メダル
◉小学生時代
小2のときに姉の影響でバドミントンを始める。「両親は経験者ではありませんでしたが、父親がすごく熱心にバドのことを勉強してくれたんです。自宅にもコートを作ってくれて、そこでフットワークをやっていました」(本人)。小3で初めての全国大会となる全国ABC大会に出場(予選敗退)。小6時には全日本ジュニアグランプリに香川代表として出場し、チームの優勝に貢献。その年、全国小学生大会では並み居るライバルを押しのけてシングルス初優勝を飾った。なお、小学生のときはソフトボールにも力を入れていた。
◉中学生時代
全小優勝をきっかけに、バドミントンに専念することを決意。中学は福島の中高一貫校・富岡第一中に進学。中2に全日本ジュニア新人の部で優勝を飾ると、翌年の全中では団体、シングルスで頂点に立った。その後、高校2年生までが出場する全日本ジュニアで、中学生では男子単史上初となる準決勝進出。この頃に指導を受けたインドネシア人コーチの影響が大きく、「イマム(・トハリ)さん、ヌヌン(・スバンドロ)さんのプレーがかっこよくて、遊び心もあった。いろいろな練習を楽しみながらやっていました」(本人)。
◉高校生時代
高校も富岡第一高に進学。高1の3月に起こった東日本大震災の影響で一時練習ができない時期もあったが、その年のインターハイではダブルスを制し、シングルスでも2位に入る健闘を見せた。高3になってからは飛躍的な成長を遂げ、7月のアジアユースU19で日本選手としては田児賢一以来2人目となる優勝を遂げると、IHシングルスでも初制覇。日本開催となった世界ジュニアでは、団体銀メダルに貢献すると、シングルスでは同種目で初となる金メダルを獲得。戦前、「この大会では優勝するのが目標。田児選手の記録(07年準優勝)を越えたい」と語った通り、まさに有言実行の優勝となった。
■バドミントン・マガジン
2014年6月号 「インタビュー&ネットプレー解剖 桃田賢斗」より
小2のときに姉の影響でバドミントンを始める。「両親は経験者ではありませんでしたが、父親がすごく熱心にバドのことを勉強してくれたんです。自宅にもコートを作ってくれて、そこでフットワークをやっていました」(本人)。小3で初めての全国大会となる全国ABC大会に出場(予選敗退)。小6時には全日本ジュニアグランプリに香川代表として出場し、チームの優勝に貢献。その年、全国小学生大会では並み居るライバルを押しのけてシングルス初優勝を飾った。なお、小学生のときはソフトボールにも力を入れていた。
◉中学生時代
全小優勝をきっかけに、バドミントンに専念することを決意。中学は福島の中高一貫校・富岡第一中に進学。中2に全日本ジュニア新人の部で優勝を飾ると、翌年の全中では団体、シングルスで頂点に立った。その後、高校2年生までが出場する全日本ジュニアで、中学生では男子単史上初となる準決勝進出。この頃に指導を受けたインドネシア人コーチの影響が大きく、「イマム(・トハリ)さん、ヌヌン(・スバンドロ)さんのプレーがかっこよくて、遊び心もあった。いろいろな練習を楽しみながらやっていました」(本人)。
◉高校生時代
高校も富岡第一高に進学。高1の3月に起こった東日本大震災の影響で一時練習ができない時期もあったが、その年のインターハイではダブルスを制し、シングルスでも2位に入る健闘を見せた。高3になってからは飛躍的な成長を遂げ、7月のアジアユースU19で日本選手としては田児賢一以来2人目となる優勝を遂げると、IHシングルスでも初制覇。日本開催となった世界ジュニアでは、団体銀メダルに貢献すると、シングルスでは同種目で初となる金メダルを獲得。戦前、「この大会では優勝するのが目標。田児選手の記録(07年準優勝)を越えたい」と語った通り、まさに有言実行の優勝となった。
■バドミントン・マガジン
2014年6月号 「インタビュー&ネットプレー解剖 桃田賢斗」より