日本
- 名前
- 松友美佐紀
- ふりがな
- まつとも・みさき
- 英語表記
- MATSUTOMO Misaki
- 生年月日
- 1992年2月8日
- 出身
- 徳島県
- 身長
- 159.5cm
- 体重
- 51kg
- 利き腕
- 右
- 血液型
- O
- 所属
- BIPROGY
- 出身校
- 徳島中-聖ウルスラ学院英智高
- 世界最高ランキング
- 1位/女子ダブルス
幼少時代
母と姉の影響で6歳からバドミントンを始める。小さい頃から水泳、体操、ピアノなどを習っていた。「水泳と体操は大きくなっても役立つと思って、ピアノは女の子だからということで習っていました。スポーツ一家の中で育った影響か、とにかくスポーツが好きな子ですね」(父)。
小学生時代
小学校に入ってからバドミントン一本に絞り練習に励む。小4のときに若葉カップ(団体)、全国小学生ABC大会、全国小学生大会(ともにシングルス)で優勝するなど、小学生の全国タイトル(当時)をすべて制覇。高学年になっても順調に全小3連覇などの結果を残し、ジュニアナショナルでもその才能を高く評価されていた。「小学2、3年のときに話をしていたら、この子は普通の子ではないと思ったんです。普通の子ではマジメに聞かないような内容でも、目をそらさずに真剣に聞いていたんです。人の話を聞くようにしつけていましたが、これには驚きました。自己管理の面もしっかりできていると思います。試合に合わせるのがうまいですよ」(父)。
中学生時代
徳島中に入学。中3で出場した全中では、地元開催のプレッシャーをはねのけて団体戦で優勝。さらにはシングルスも見事制覇し2冠を達成した。「自分にはたくさんの人がついていてくれる。絶対いけると思ってプレーしました」(全中シングルス後のコメント)
高校生時代
高校は宮城の聖ウルスラ学院英智高に進学。高1で出場した高校選抜では団体、ダブルスで優勝(シングルスは準優勝)。高2のときにはチームの主力として活躍し、インターハイで団体・シングルス・ダブルスを制して3冠を達成した。高3時は大阪国際(IC)、ベルギーOPなどに出場してダブルスで優勝(ペアは髙橋礼華)。全日本総合でもシングルスで4強に入るなど社会人や海外選手を相手に結果を残すようになった。「松友は高校の頃から予測して見るという“予見力”がありました。体は小さいのでパワーヒッターではないけれど、どうすれば自分のプレーを発揮できて勝てるのか。よく考えて勉強し、本人の体に合ったプレーを頭に置いて練習する非常に能力の高い選手でした」(田所監督)。
■バドミントン・マガジン
2012年3月 「恩師の記憶」より
2011年3月号「court curising」より
2006年10月号「全国中学校大会レポート」より
2003年9月 「ジュニアランド」より
母と姉の影響で6歳からバドミントンを始める。小さい頃から水泳、体操、ピアノなどを習っていた。「水泳と体操は大きくなっても役立つと思って、ピアノは女の子だからということで習っていました。スポーツ一家の中で育った影響か、とにかくスポーツが好きな子ですね」(父)。
小学生時代
小学校に入ってからバドミントン一本に絞り練習に励む。小4のときに若葉カップ(団体)、全国小学生ABC大会、全国小学生大会(ともにシングルス)で優勝するなど、小学生の全国タイトル(当時)をすべて制覇。高学年になっても順調に全小3連覇などの結果を残し、ジュニアナショナルでもその才能を高く評価されていた。「小学2、3年のときに話をしていたら、この子は普通の子ではないと思ったんです。普通の子ではマジメに聞かないような内容でも、目をそらさずに真剣に聞いていたんです。人の話を聞くようにしつけていましたが、これには驚きました。自己管理の面もしっかりできていると思います。試合に合わせるのがうまいですよ」(父)。
中学生時代
徳島中に入学。中3で出場した全中では、地元開催のプレッシャーをはねのけて団体戦で優勝。さらにはシングルスも見事制覇し2冠を達成した。「自分にはたくさんの人がついていてくれる。絶対いけると思ってプレーしました」(全中シングルス後のコメント)
高校生時代
高校は宮城の聖ウルスラ学院英智高に進学。高1で出場した高校選抜では団体、ダブルスで優勝(シングルスは準優勝)。高2のときにはチームの主力として活躍し、インターハイで団体・シングルス・ダブルスを制して3冠を達成した。高3時は大阪国際(IC)、ベルギーOPなどに出場してダブルスで優勝(ペアは髙橋礼華)。全日本総合でもシングルスで4強に入るなど社会人や海外選手を相手に結果を残すようになった。「松友は高校の頃から予測して見るという“予見力”がありました。体は小さいのでパワーヒッターではないけれど、どうすれば自分のプレーを発揮できて勝てるのか。よく考えて勉強し、本人の体に合ったプレーを頭に置いて練習する非常に能力の高い選手でした」(田所監督)。
■バドミントン・マガジン
2012年3月 「恩師の記憶」より
2011年3月号「court curising」より
2006年10月号「全国中学校大会レポート」より
2003年9月 「ジュニアランド」より