日本
- 名前
- 平田典靖
- ふりがな
- ひらた・のりやす
- 英語表記
- HIRATA Noriyasu
- 生年月日
- 1983年11月17日
- 出身
- 富山県
- 身長
- 180cm
- 体重
- 75kg
- 利き腕
- 右
- 血液型
- B
- 所属
- トナミ運輸
- 出身校
- 利賀中-高岡工芸高-日本体育大
- 世界最高ランキング
- 7位/男子ダブルス(2012年4月26日付) 28位/混合ダブルス(2010年3月25日付)
◆高校
年 | 大会名 | 学年 | 種目 | 成績 | ペア |
00年 | インターハイ | 2年 | 男子D | 4強 | 米隆夫 |
01年 | 高校選抜 | 2年 | 男子D | 優勝 | 劉志遠 |
01年 | インターハイ | 3年 | 男子D | 優勝 | 劉志遠 |
◆大学
年 | 大会名 | 学年 | 種目 | 成績 | ペア |
03年 | インカレ | 2年 | 男子D | 8強 | 小宮山元 |
04年 | 日本ランキングサーキット | 2年 | 男子D | 8強 | 小宮山元 |
インカレ | 3年 | 男子D | 準優勝 | 小宮山元 | |
全日本総合 | 3年 | 男子D | 16強 | 小宮山元 | |
05年 | 日本ランキングサーキット | 4年 | 男子D | 8強 | 小宮山元 |
インカレ | 4年 | 男子D | 優勝 | 劉志遠 |
◆社会人
年 | 大会名 | クラス | 種目 | 成績 | ペア |
06年 | 日本ランキングサーキット | - | 男子D | 4強 | 米隆夫 |
全日本総合 | - | 男子D | 4強 | 米隆夫 | |
07年 | 日本ランキングサーキット | - | 男子D | 4強 | 劉志遠 |
USOP | GP | 男子D | 16強 | 米隆夫 | |
全日本社会人 | - | 男子D | 優勝 | 米隆夫 | |
全日本総合 | - | 男子D | 8強 | 米隆夫 | |
09年 | スウェーデン国際 | IC | 男子D | 8強 | 橋本博且 |
オーストリア国際 | IC | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
大阪国際 | IC | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
日本ランキングサーキット | - | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
ニュージーランドOP | GP | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
全日本社会人 | - | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
全日本総合 | - | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
混合D | 優勝 | 前田美順 | |||
10年 | スイスOP | SS | 男子D | 4強 | 橋本博且 |
大阪国際 | IC | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
アジア選手権 | - | 混合D | 8強 | 藤井瑞希 | |
日本ランキングサーキット | 男子D | 4強 | 橋本博且 | ||
インドネシアOP | SS | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
全日本社会人 | - | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
オランダOP | GP | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
全日本総合 | - | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
混合D | 優勝 | 前田美順 | |||
11年 | オーストラリアOP | GPG | 男子D | 4強 | 橋本博且 |
アジア選手権 | - | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
インドOP | SS | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
マレーシアOP | GPG | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
シンガポールOP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
USOP | GPG | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
ベトナムOP | GP | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
インドネシアOP | GPG | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
フランスOP | SS | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
香港OP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
全日本総合 | - | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
12年 | マレーシアOP | SS | 男子D | 4強 | 橋本博且 |
ドイツOP | GPG | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
全英OP | SSP | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
スイスOP | GPG | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
オーストラリアOP | GPG | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
アジア選手権 | - | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
シンガポールOP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
全日本社会人 | - | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
ヨネックスOPジャパン | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
デンマークOP | SSP | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
全日本総合 | - | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
13年 | マレーシアOP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 |
全日本社会人 | - | 男子D | 優勝 | 橋本博且 | |
中国マスターズ | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
ヨネックスOPジャパン | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
デンマークOP | SSP | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
全日本総合 | - | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
スーパーシリーズファイナル | SSF | 男子D | 予選リーグ敗退 | 橋本博且 | |
14年 | インドOP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 |
アジア選手権 | - | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
ヨネックスOPジャパン | SS | 男子D | 4強 | 橋本博且 | |
フランスOP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
中国OP | SSP | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
全日本総合 | - | 男子D | 準優勝 | 橋本博且 | |
15年 | ドイツOP | GPG | 男子D | 8強 | 橋本博且 |
全英OP | SSP | 男子D | 16強 | 橋本博且 | |
インドOP | SS | 男子D | 8強 | 橋本博且 | |
シンガポールOP | SS | 男子D | 16強 | 橋本博且 |
SS上位進出数 | |
優勝 | 1回 |
準優勝 | 0回 |
4強 | 6回 |
幼少時代
人口が当時1000人ほどだった富山県利賀村(現南砺市)の山村に生まれる。
小学生時代
小学生時代は少年野球で汗を流した。
中学生時代
全校生徒30人ほどの利賀中に入学。部活がバドミントン部しかなく、そのまま入部。中3ではシングルスで県大会優勝。「村では横断幕などを飾ってくれてうれしかったけど、その頃はバドミントンを続けるとは思っていなかった」(本人)。
高校生時代
高岡工芸高に進学。高1のときから寮生活を送っていたが、練習の厳しさについていけず、夏に一度バドミントンから離れる時期もあった。部活に復帰してからは、メキメキと上達し、高2のインターハイで3位に(ペアは米隆夫・元トナミ運輸)。高校選抜ではダブルスを制覇し(ペアは劉志遠)、全国初タイトルを獲得。インターハイも優勝してみせた。この頃から前衛で高い力を発揮しており、その理由を当時監督を務めていた山形英明氏は「平田には前衛として豊かな発想力と思考を持つように言葉をかけてました。そうしたところ、気が付けば彼はラケットバッグにいつもメモ帳を入れ、何かをいうとすばやくメモをとるようにしてました。それらを自分のなかでデータベース化し、自分のやりたいこと、次の対戦相手と照らし合わせながら考える。こうしたアイデアを出せる力、推察力が平田の武器になっているのではないでしょうか」。
大学生時代
日本体育大に進学。4年時には主将を務め、インカレ団体優勝に貢献。個人では4年時に劉志遠とのペアでインカレダブルス優勝。「主将という立場にはやっぱりプレッシャーもありましたね。僕たちのときコーチがいなかったので、練習方法や試合のオーダーも自分たちで決めなければならなかった。でも後輩に恵まれたのか、みんな僕のいうことをよく聞いてくれたので助かりました」(本人)。
■バドミントン・マガジン
2010年6月号「court cruising」より
2008年9月号「CHECK POINT」より
2006年4月号「新しい道の上」より
人口が当時1000人ほどだった富山県利賀村(現南砺市)の山村に生まれる。
小学生時代
小学生時代は少年野球で汗を流した。
中学生時代
全校生徒30人ほどの利賀中に入学。部活がバドミントン部しかなく、そのまま入部。中3ではシングルスで県大会優勝。「村では横断幕などを飾ってくれてうれしかったけど、その頃はバドミントンを続けるとは思っていなかった」(本人)。
高校生時代
高岡工芸高に進学。高1のときから寮生活を送っていたが、練習の厳しさについていけず、夏に一度バドミントンから離れる時期もあった。部活に復帰してからは、メキメキと上達し、高2のインターハイで3位に(ペアは米隆夫・元トナミ運輸)。高校選抜ではダブルスを制覇し(ペアは劉志遠)、全国初タイトルを獲得。インターハイも優勝してみせた。この頃から前衛で高い力を発揮しており、その理由を当時監督を務めていた山形英明氏は「平田には前衛として豊かな発想力と思考を持つように言葉をかけてました。そうしたところ、気が付けば彼はラケットバッグにいつもメモ帳を入れ、何かをいうとすばやくメモをとるようにしてました。それらを自分のなかでデータベース化し、自分のやりたいこと、次の対戦相手と照らし合わせながら考える。こうしたアイデアを出せる力、推察力が平田の武器になっているのではないでしょうか」。
大学生時代
日本体育大に進学。4年時には主将を務め、インカレ団体優勝に貢献。個人では4年時に劉志遠とのペアでインカレダブルス優勝。「主将という立場にはやっぱりプレッシャーもありましたね。僕たちのときコーチがいなかったので、練習方法や試合のオーダーも自分たちで決めなければならなかった。でも後輩に恵まれたのか、みんな僕のいうことをよく聞いてくれたので助かりました」(本人)。
■バドミントン・マガジン
2010年6月号「court cruising」より
2008年9月号「CHECK POINT」より
2006年4月号「新しい道の上」より