日本
- 名前
- 垣岩令佳
- ふりがな
- かきいわ・れいか
- 英語表記
- KAKIIWA Reika
- 生年月日
- 1989年7月19日
- 出身
- 滋賀県
- 身長
- 167cm
- 体重
- 64kg
- 利き腕
- 右
- 血液型
- AB
- 所属
- 再春館製薬所
- 出身校
- 日吉中-青森山田高
- 世界最高ランキング
- 3位/女子ダブルス
(2012年1月5日付)
51位/混合ダブルス
(2010年12月2日付)
幼少時代
3歳上の姉の影響で、幼稚園の頃からバドミントンを始める。滋賀の強豪・坂本スポーツ少年団に所属。
小学時代
当時の坂本スポーツ少年団には、垣岩の上の世代に多谷郁恵、早川由希子、数野健太、早川賢一ら全国大会で活躍した選手が多く在籍しており、そのなかで週5回の練習に通っていた。「家に帰ってもテレビを観ながら腹筋をやっていましたね。姉や野球をやっていた兄を見て、そういうのが普通だと思っていたし、父も体を動かすのが好きだったから、一緒にランニングなどをしていました」(本人)
中学時代
全国中学校大会で団体優勝の実績がある地元の日吉中に入学。中2のときにオスグット病で手術を受けたが、辛抱強くリハビリを行ない、中3では全中の団体・シングルスに出場。見事団体とシングルスで優勝を果たし2冠を達成。
高校時代
全国上位の常連・青森山田高に進学。高1の東北大会団体戦で、のちにロンドン五輪で銀メダルを獲得することになる藤井瑞希(1学年上)とペアを組むことに。藤井とのペアでインターハイ団体優勝に貢献すると、高校選抜ではダブルスを制覇。高2のインターハイでも藤井とのペアで優勝した。「高校時代の垣岩は非常にモチベーションが高く、どんな練習でも手を抜かない。妥協しない。集中力が落ちない。そんな選手でした。当時から藤井とオリンピックを意識していたのでしょう。私もオリンピックは夢じゃないと思っていました」(藤田真人監督)
■バドミントン・マガジン
2012年7月号「恩師の記憶」より
2011年4月号「court cruising」より
3歳上の姉の影響で、幼稚園の頃からバドミントンを始める。滋賀の強豪・坂本スポーツ少年団に所属。
小学時代
当時の坂本スポーツ少年団には、垣岩の上の世代に多谷郁恵、早川由希子、数野健太、早川賢一ら全国大会で活躍した選手が多く在籍しており、そのなかで週5回の練習に通っていた。「家に帰ってもテレビを観ながら腹筋をやっていましたね。姉や野球をやっていた兄を見て、そういうのが普通だと思っていたし、父も体を動かすのが好きだったから、一緒にランニングなどをしていました」(本人)
中学時代
全国中学校大会で団体優勝の実績がある地元の日吉中に入学。中2のときにオスグット病で手術を受けたが、辛抱強くリハビリを行ない、中3では全中の団体・シングルスに出場。見事団体とシングルスで優勝を果たし2冠を達成。
高校時代
全国上位の常連・青森山田高に進学。高1の東北大会団体戦で、のちにロンドン五輪で銀メダルを獲得することになる藤井瑞希(1学年上)とペアを組むことに。藤井とのペアでインターハイ団体優勝に貢献すると、高校選抜ではダブルスを制覇。高2のインターハイでも藤井とのペアで優勝した。「高校時代の垣岩は非常にモチベーションが高く、どんな練習でも手を抜かない。妥協しない。集中力が落ちない。そんな選手でした。当時から藤井とオリンピックを意識していたのでしょう。私もオリンピックは夢じゃないと思っていました」(藤田真人監督)
■バドミントン・マガジン
2012年7月号「恩師の記憶」より
2011年4月号「court cruising」より