日本
- 名前
- 三谷美菜津
- ふりがな
- みたに・みなつ
- 英語表記
- MITANI Minatsu
- 生年月日
- 1991年9月4日
- 出身
- 石川県
- 身長
- 161cm
- 体重
- 56kg
- 利き腕
- 右
- 血液型
- A
- 所属
- NTT東日本
- 出身校
- 美川中-金沢向陽高
- 世界最高ランキング
- 9位/女子シングルス
幼少時代
母の影響でラケットを握る。「私も覚えていないくらい小さな頃から母の練習についていってバドミントンにふれていたみたいです。それから姉が本格的にやるっていい出して、それなら私も一緒にということで始めました」(本人)
小学生時代
小4のときに全国ABC大会Bクラスで2位に入る。同じ年の全国小学生でも3位入賞。「ABC大会で2位のときは、準決勝まで『アレッ、勝っちゃった』という感じだったけど、決勝の松友戦は違ったんです。当時は11点制でしたが、私が0点、1点で負けてしまって…。あれは忘れないですね」(本人)。その後もABC大会でAクラス4強。
中学生時代
美川中に入学。地元の中学にはバドミントン部がなかったため、電車で40分かかる同中に進んだ。中2で全日本ジュニア新人の部で3位の成績を収めたが、全中ではシングルスで出場するも、好結果を残すことはできなかった。「美川中は結構走ることを重視していて、夏休みや春休みは毎日10kmは走らされました。でも、なかなか結果がでなかったのが中学ですね」(本人)
高校生時代
金沢向陽高に進学。1年の全日本ジュニアダブルスで優勝を果たすと、高校選抜ではシングルスでV。決勝では3冠がかかっていた同じく1年の松友美佐紀と対戦し、ストレートで制してみせた。2年では同じく高校選抜でシングルス2連覇を達成。3年でも最後のインターハイでシングルスを制した。高校の車浩明監督は「彼女のプレーを見たのが中学2、3年生の頃。“体は小さいけども脚力がある子だな”という印象でした。高校の練習では人より多くノックを受け、人より多くのゲーム練習をこなし、人より多くのトレーニングをし、コートの中で倒れ込むくらい走り込んでいた姿が思い出されます」と振り返っている。
■バドミントン・マガジン
2013年4月号「恩師の記憶」より
2010年2月号「CHECK POINT」より
母の影響でラケットを握る。「私も覚えていないくらい小さな頃から母の練習についていってバドミントンにふれていたみたいです。それから姉が本格的にやるっていい出して、それなら私も一緒にということで始めました」(本人)
小学生時代
小4のときに全国ABC大会Bクラスで2位に入る。同じ年の全国小学生でも3位入賞。「ABC大会で2位のときは、準決勝まで『アレッ、勝っちゃった』という感じだったけど、決勝の松友戦は違ったんです。当時は11点制でしたが、私が0点、1点で負けてしまって…。あれは忘れないですね」(本人)。その後もABC大会でAクラス4強。
中学生時代
美川中に入学。地元の中学にはバドミントン部がなかったため、電車で40分かかる同中に進んだ。中2で全日本ジュニア新人の部で3位の成績を収めたが、全中ではシングルスで出場するも、好結果を残すことはできなかった。「美川中は結構走ることを重視していて、夏休みや春休みは毎日10kmは走らされました。でも、なかなか結果がでなかったのが中学ですね」(本人)
高校生時代
金沢向陽高に進学。1年の全日本ジュニアダブルスで優勝を果たすと、高校選抜ではシングルスでV。決勝では3冠がかかっていた同じく1年の松友美佐紀と対戦し、ストレートで制してみせた。2年では同じく高校選抜でシングルス2連覇を達成。3年でも最後のインターハイでシングルスを制した。高校の車浩明監督は「彼女のプレーを見たのが中学2、3年生の頃。“体は小さいけども脚力がある子だな”という印象でした。高校の練習では人より多くノックを受け、人より多くのゲーム練習をこなし、人より多くのトレーニングをし、コートの中で倒れ込むくらい走り込んでいた姿が思い出されます」と振り返っている。
■バドミントン・マガジン
2013年4月号「恩師の記憶」より
2010年2月号「CHECK POINT」より