【独占インタビュー】桃田賢斗「五輪レースでは迷わず、全部出し切る」――逆襲はここから<前編>

パリ五輪の出場権をかけた1年間のレースが5月にスタート。元世界ナンバーワンの桃田賢斗は、国内4番手から逆転でのパリ五輪出場をねらう。五輪出場権を得られるのは最大2枠(シングルスでは世界ランク16位以内に2名以上がいる場合は2名の出場枠を獲得)。ここからの逆襲を誓う桃田賢斗の独占インタビューを、バドミントン・マガジン7月号から抜粋してお届けする。

「五輪レースでは迷わずに、全部出し切る」

――4月の取材時に、パリ五輪への思いをお話しいただきましたが、あらためて代表選考レースへの意気込みをうかがえればと思います。

桃田 先日も話しましたが、オリンピックレースは日本の中で4番手スタート。不安な部分はたくさんありますが、もういろいろと迷うことはやめて、自分らしく楽しめたらいいのかなと思っています。上がっていくだけだと思うので、チャレンジャー精神を忘れずに臨めたらと思っています。

――オリンピックという舞台は、やはり選手にとって他とは違うものがある。

桃田 そうですね。東京オリンピックに出る前は、他の大会とあまり変わらないだろうなって思っていたんですけど、いざ出てみたら、やっぱり緊張感や、1試合1試合の重みが違う。試合が終わるたびに、感極まって、高ぶるものがあって、やっぱり違うものがあるなと感じました。もう一度、あのコートに立って、プレーしたいなとは思います。

――桃田選手にとってのパリ五輪レースは、東京五輪レースとはまったく違うものになるのかなと思いますが、具体的なプランなどはありますか。

桃田 ないですね。今は、一戦一戦、自分ができることだけをやるっていうことを考えています。「ああして、こうして」っていう余裕もないので。……全部出し切る。作戦は、「全部出し切る」です。

「勝てずに臆病になっていた」

――3月のドイツOP、全英OPを振り返って「本来のテンポが戻ってきている」と話していましたね。

桃田 はい。自分のストレスのないラリーが増えてきているなという感覚があって、それでまだまだやれるんじゃないかっていうふうに感じています。

――もう少し具体的に、どういったところがよくなったと感じているのでしょうか。

桃田 まず自信を持って羽根を打てるようになったというのはありますね。自信が持てていないときというのは、「ミスしそうだな」とか、「大事にいこう」と気持ちが入りすぎて、ムダな力が入っている感覚がすごくあって。それでフットワークがバタついたり…っていうのがすごくあったんですけど、今は変な力が入らずに打てている感覚がある。そこがリズムがよくなっている一番の要因ですね。

――全日本総合で優勝したときには、まだそうではなかった?

桃田 ちょっと違いましたね。全日本総合のときは、なんで優勝できたのか自分でもわからないくらいでした。全然、自信がなかったです。多分、変な力が入っていって、例えばフットワークで言えば、打ったあと「よいしょ」って、動きが滞るような感じで。今は普通に打ったら、パッと次に行けるようなイメージです。

――全日本総合後の記者会見で「以前のような柔らかいディフェンスはもうできなくなってしまった感覚がある」と発言していたのが印象に残っています。その総合後に、NTT東日本の佐藤翔治コーチに桃田選手のプレーについてうかがったところ、「プレー自体は(世界ランキング1位にいたころと)それほど変わっていない。守りに入りすぎている分、相手のプレーを読んで先に動くといったことが少なくなっていたけれど、試合を重ねて、気持ちの踏ん切りができるようになれば、国際大会でも勝てるようになると思っている」と話していて、桃田選手自身の自己評価とは少し乖離しているのかなと感じました。

桃田 自分ではまったく何もできていないと思っていたので、あらためて聞くと、そういうふうに見られていたんだなという感じがありますね。コーチ陣とは、そういった話はもちろん少しはしていましたけど、実行できないだろうなという感覚で。

――先に相手を読んで、賭けをするような駆け引きが難しかった。

桃田 頭では理解していても、実行に移せない。イメージと現実とのギャップがすごくあった感じがします。

――ちなみに、プレー面では、やはり3年前の交通事故の影響というのが少なからず残っているのでしょうか。あるいは復帰後に腰を痛めていますが、慢性的な痛みを抱えているとかは。

桃田 それはあまりないですね。腰に関しては、もちろん、疲れが溜まってきたら痛くなったりするときはありますけど、現状で特に痛いところなどはないです(編集部注※マレーシアマスターズ後のタイOP、シンガポールOPは腰のケガのためキャンセル)。プレーに関する一番の影響というのは、勝てなくなって、臆病になっているというのが多分一番なんじゃないかな。弱気になっているということの影響だと思います。

※インタビュー<後編>に続く。

ももた・けんと◎1994年9月1日生まれ、香川県出身。富岡第一中、富岡高を経てNTT東日本へ。15年に日本男子史上初となるスーパーシリーズ優勝。18・19年世界選手権優勝。19年全英オープン優勝。男子単では日本選手初となる世界ランキング1位に(18年9月~21年11月)。20年1月、マレーシア遠征中に交通事故に巻き込まれケガを負うも、復帰戦の同年12月の全日本総合で優勝。21年東京五輪では予選リーグで敗退。世界ランキング34位(6月20日付)。175cm。左利き。

取材・文/バドミントン・マガジン編集部

投稿日:2023/07/03

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