昨年のリオ五輪・混合ダブルスで日本勢初の8強入りを果たした数野健太(日本ユニシス)が、スーパーシリーズファイナル(UAE・ドバイ)期間中だった12月13日に、引退を表明した。今年度は現役を続ける意向を示しており、国内大会ではS/Jリーグに出場する可能性を残している。しかし、栗原文音(日本ユニシス)との混合ダブルスは、SSファイナルが最後の大会に。結果は予選リーグ敗退も、最終試合となる3戦目で初勝利をあげて有終の美を飾っている。
ここでは、18日のSSファイナル帰国時に取材に応じた、数野のコメントを紹介する。
――引退を決めた時期と理由を教えてください。
「昨年のリオ五輪が終わった時点で、やりきったなという思いもありました。ですが、パートナーの栗原の気持ちや、日本には若くていい選手がたくさんいたので、朴柱奉監督が『1年でも2年でも続けてくれたら』といってくださり、もう少し頑張ってみようと決めました。そこから引退しようかなという気持ちになったのは、8月の世界選手権後です(編集部注:結果はベスト16)。今後を見すえたときに、自分の気持ち的には、これで満足かなと思いました」
――栗原選手とは、どういう時期に、どんな話をしたのでしょうか。
「リオ五輪が終わったあと、今後についてお互いの気持ちを話しました。そのとき栗原は、ミックスで世界で戦いたい、もしできるなら、僕と組んで少しでもプレーをしたいといってくれました。それを聞いて、僕が現役を続けることで少しでも力になれるのであればと。自分のためというよりは、周りのために、もう少し頑張ってみようかなと思いました。その時点で東京五輪というのは見えていませんでしたが、1年やってみて、気持ちが変わったら続ければいいし、もういいかなと思えば、そこで引退しようかなと考えていました」
――スーパーシリーズファイナルでは、予選リーグ3戦目で勝利。国際大会最後の試合を勝利で飾ったときは、どのような気持ちでしたか。
「最後の最後で1勝できたので、スッキリとした気持ちで終わることができました。それに、この一年間現役を続けましたが、なかなか栗原に昨年を上回る結果を残してあげられず、前回のSSファイナルでもいいところなく終えてしまったので、最後の最後で、昨年よりもいい結果を残してあげられてよかったです」
――今後については。
「スーパーシリーズファイナルを最後に日本代表を引退しますが、選手としては今年度いっぱい続けます。まだS/Jリーグなどに出場する可能性は残っています」
――引退後については。
「来年4月から、地元の滋賀にある母校(比叡山高)で働かせていただきます。指導はド素人なので、本当にイチからのスタート。最初のうちは、自分の経験を伝えたり、体の動く範囲で選手の相手をするなどして貢献できればいいなと。少しずつ指導力を培っていきたいです」
――日本代表は2018年から混合ダブルス専門のペアを作り、専門のコーチをつけるなど、強化するタイミングでの引退となります。それについては、どのように感じますか。また今後、日本のバドミントン界にとって、混合ダブルスという種目がどのようになってほしいですか。
「イケシオペア(池田信太郎/潮田玲子)が混合ダブルスの道を切り拓いてくれて、リオ五輪では、そういった道を僕たちが若い世代につなげる役目ができればいいなと思って頑張ってきました。ようやく来年から混合ダブルスの代表選考会が始まり、専門のペアができるというのは……徐々にですけど、体制が整ってきたなと感じています。日本は混合ダブルスの選手をしっかり育てれば、東京五輪でメダルをねらえると思うので、メダルを取れるような選手が出てきてくれればいいなと。そうやって戦っている姿を見て、応援したいなとは思います」
かずの・けんた◎1985年11月25日生まれ、滋賀県出身。日吉中-比叡山高-日本大。171㎝68㎏。A型。右利き。全中、インターハイ単優勝のほか、インカレ複優勝など各年代で全国優勝を経験。2008~10年総合男子複準優勝のほか、13~14年は山田和司とのペアで大阪国際(IC)、日本ランキングサーキットなどを制覇。混合ダブルスは15年4月から栗原文音とペアを組み、5月のスディルマン杯では日本の銀メダル獲得に貢献。翌年のリオ五輪では、混合ダブルスとして日本勢初のベスト8入りを果たした。
取材・文/バドミントン・マガジン編集部