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【記者会見】「どんなときでも、一戦一戦、目の前のことを乗り越えてきた」(廣田)「一戦一戦というのが、フクヒロらしい」(福島)〈ペア解消会見後半〉

バドミントン日本代表女子ダブルスの福島由紀(写真左)、廣田彩花(ともに岐阜Bluvic)が13日、活動拠点の丸杉アリーナで記者会見に臨み、ペア解消を発表した。ともに選手生活は続ける意向。記者会見では、ペア解消の経緯、ペアとしての思い出、今後についてなどを語った。

記者会見前半は こちら

――最近、チームでイベントとして地元で試合を行なっている。公式戦以外でペアを組む可能性はある?

福島 そういう機会がいただければ、ぜひ、やらせてもらいたいです。

――2018年に岐阜に来て感じたことは?

福島 当時は、移籍問題でいろいろありましたが、そういう中でも温かく迎えてくださった。直接、応援していますと言ってもらった記憶があって、問題もあまり気にせずにやれたのは、そういう声や応援のおかげ。もうちょっと頑張ろうと、もっと上に行ってやろうという気持ちにさせてもらいました。

廣田 本当に温かい人ばかり。海外遠征が多くて、岐阜にいることも少なかったですけど、ふれあえるときには、応援しています、頑張ってねと声をかけてくださって、私も頑張ろうと思うことができていました。岐阜に帰ってくると、落ち着くなという場所になったなと思います。

――世界を舞台に、ペアとして、何を大事に戦ってきた

廣田 どんな時でも「一戦一戦」と言っていました。目の前の一試合を、2人でどう乗り越えていくかを、ずっとやってきました。そこは大事にしてきました。目の前のことを乗り越えていく先に、勝ちも見えてくるし、優勝もできる。一つひとつ、というのを2人でやってきました。

福島 一戦一戦というのが、フクヒロらしい。今(廣田の言葉を)聞いていて、思い出しました。最初は、勝ちたい、勝ちたいという気持ちばかりでしたけど、ちょっと試合が楽しみ、というふうに思えるようになってきていたので、やりながら(大事にするものも)変わってきたと思います。東京五輪の後くらいから、廣田がリハビリをしている最中に、ユーバー杯で松本麻佑選手、東野有紗選手、松友美佐紀選手といろいろな人と組ませてもらって、デンマークオープン、フランスオープンで東野選手と組ませてもらって、すごく楽しかったし、新しい刺激でした。ほかの人と組むことで、廣田のいいところも、あらためて実感しましたし、新しい自分もちょっと見えた期間でした。それがあったおかげで、廣田が復帰したときに、もうちょっと(2人で)楽しんでいこうと、試合するのが楽しくなりました。

廣田 自分がリハビリしている間に、先輩がいろいろな方と組んで、笑顔でやっているときはいいプレーが出ているなと、試合を見ながら思っていました。復帰戦は、1回戦で負けましたが、笑顔で楽しくやれた試合でしたし、楽しむことは大事だと思いました。

――試合をする中、パートナーを心強いと思う部分は?

福島 廣田のいいところは、何も考えずに前衛に突撃していくところ。特に、それが出ているときは、勝っていたと思います。

廣田 私が突撃できるのは、福島先輩のスピードやカバーがあるから。そのスピードを生かした中で緩急を使うショットは、福島先輩の持ち味だと思っています。自分がケガした後は、私のカバーに回ることが多かったですけど、カバー力は、世界一だと思っています。

――最初は、福島選手はパートナーを信頼しきれない、廣田選手はパートナーを頼ってしまうと言っていたが、2人の関係はどう変わった?

福島 言わなくても分かることは、組んできてすごくあったと感じますが、言わないと伝わらないところもあり、コミュニケーションをどうとるかも苦戦しました。でも、信頼関係はあったかな、今でもあるかなと思っています。2人で支え合ってきましたし、スタッフも一緒に戦ってくれて、それも支えにもなりました。いろいろな人に支えられて、自分たちの信頼関係も築き上げられてきたと思います。同時に、一緒に戦ってきた、支えてくれた人たちとの信頼関係もできてきたと思います。コートにいるのは2人だけど、みんなで一戦を勝ちに行く、チームフクヒロみたいな感じで一緒にやれたという思いが大きいです。今、思い出しても泣きそうなので、何を言っていいかわからないので、終わります(笑)。

廣田 福島先輩も言ったように、自分たち2人で、ここまでこられたわけではありません。18歳の時に、実績もなかった自分が、今井(彰宏)監督をはじめ、コーチ、スタッフに支えられながらやってきました。この出会いがなかったら、私は今、ここにいることもないですし、出会えたことにすごく感謝しています。その中で、自分の意見を言うことがなかなかできなかったり、プレー中でも福島先輩に頼ってしまう部分が多かったり、なかなか自分の殻を破れず、たくさん負けてきましたが、負けてから自分で振り返ったり、向き合ったりしながらやってきて、福島先輩との信頼関係は、12年間で築けたと思うし……なんて言ったらいいか分からなくなっちゃった……。本当に支え合ってきたし、支えてもらってきた12年間だったと思っています。

――パートナーへかけたい言葉は? このパートナーだったからできたと思えることは?

福島 自分が廣田に言いたいことは、ありがとうという言葉が一番。ケガをして本当に痛かったと思うけど、東京も、パリのレースもすごく頑張ってくれたので、本当に、ありがとうという気持ちと、よく頑張ったねと伝えたいです。廣田が果敢に前に行ってくれるから後ろで打てたし、廣田のおかげで、かなりカバー範囲が広くなったかなと思うので(笑)、技術的なことはないかもしれないですけど、我慢とコートの中だけは駆け回れる体が作れたかなと思うので、そこは、廣田のおかげだと思います。

廣田 伝えたいこととしては、ありがとうございます、という言葉に尽きます。大事な時期に2度もケガをして、自分もきつかったですけど、それ以上に、体も精神も、自分のカバーをしながらやっていかないといけないし、どこにぶつけていいか分からない感情で戦っていたと思う。それを見せずにやってもらっていたとすごく感じていました。たくさん迷惑をかけましたが、自分とやってもらってありがとうございますという気持ちでいっぱいです。今後は、そういう自分と組んでいて、勝ちたい思いを持ちながらやっていたと思うので、純粋にバドミントンを楽しんで笑顔でやっている福島先輩を見たい思いもあるので、そういう風にやってもらえたらなと思っています。私は気持ち的に落ち込んだり、ネガティブになったりしがちでしたが、それでも、廣田の強みはここだよと言ってもらったことで奮起してやれていました。コートの中でも、競った場面で強気に言ってもらっていたので、すごく助けてもらった部分が大きかったと思います。

――フクヒロの愛称でファンに親しまれたことについて

福島 「福島、廣田」と言うよりも「フクヒロ」と言った方が分かってもらえるくらい、いろいろな人に覚えてもらったと思います。今日、ペアを解消して、フクヒロとは呼んでもらえないかもしれないですけど、あらためて福島と廣田を覚えていただいて、応援してもらえればうれしいです。私にとっては、フクヒロファンというのが、大きな存在。応援してくれるファンの方々が多いとすごく感じていました。フクヒロは、その人たちのおかげで成り立っていました。

廣田 フクヒロとしてたくさんの方に覚えて呼んでもらえてうれしかったです。海外の試合でも「フクヒロ」と呼んでくださる方がたくさんいて、ホームのように戦えましたし、試合をしながら嬉しいと思っていました。フクヒロファンは本当に温かくて、どんな時も応援して励ましてくれる存在でした。ペアを解消しますが、また、ファンの人とふれあえる機会があれば、うれしいと思いますし、またファンの方の前でプレーを見せられるように自分も頑張っていきたいと思います。

――2人の個人戦の今後は未定とのことだが、11月には団体戦のS/Jリーグが始まる。どのような気持ちで臨む?

福島 チームとしても、個人としても優勝を目標にやっているので、福島/廣田では出ないですけど、チームに貢献していきたいです。出た試合は、絶対に勝ち切る気持ちを持って、今後も練習に励みたいですし、チームに貢献できるように、頑張りたいです。

廣田 チームとしてもリーグ優勝を目標にやっています。リハビリ中で出場はできませんが、できることはあると思うので、チームの力になれるようにやっていきたいです。本当に、誰が出ても勝てるチーム作りをしていきたいし、みんなで「強い岐阜Bluvic」を見てもらえるように頑張りたいです。

■今井彰宏監督

「最初は、ヘボかった。今のうちの新人の子の方が上手です。ただ、今朝も選手に話しましたが、五輪に行く選手に共通しているのは、負けん気が強く、志が高いこと。私の厳しい指導についてきたのも、志が高いから。それは、18歳のときから持っていました。スキルや経験が身につけばモノになる、夢や目標はかなうのではないかと思っていました。社会人になってすぐの頃は、国内で負け続けましたが、負けて強くなるペアでした。だから、結果が後からついてきているのではないかと思います。2人は、負けかけた、崖っぷちの試合を何回もひっくり返したペアでもありました。国体の決勝戦で、相手が勢いよく向かってきて、相手の流れの試合でしたけど、1ゲームを取られて、30-29でゲームを取り返した試合もありました。2016年の全日本実業団選手権で、2人が当時日本王者の髙橋礼華/松友美佐紀ペアにフルゲームまで競りました。髙橋/松友が金メダルを獲得したリオデジャネイロ五輪に2人を連れて行き「次は、お前たちも絶対に行ける」と言葉を投げかけたことを覚えています。その年の全日本総合で髙橋/松友に負けました。福島が、髙橋選手にストレートスマッシュを3連発で打たれて、オンラインの球。さすが金メダリストだと思いましたが、そこから(髙橋/松友を追いかけて)2人が変わっていきました」

2人がペアを組んだのは、2013年に廣田がルネサス(現:再春館製薬所)に入社したのがきっかけ。一時的に互いが別のパートナーと試合に出場した時期もあったが、10年以上もペアを組んできた。2018年8月から19年4月、20年1月から21年12月までの間は、世界ランク1位に君臨。2017年から2019年までの世界選手権では、3年連続の銀メダル。2020年には権威ある全英オープン(BWFワールドツアースーパー1000)を初優勝。21年には、東京五輪に出場。廣田が右ヒザを負傷した状態だったが、8強入りの健闘を見せた。パリ五輪出場を目指す五輪レースでは、廣田が左ヒザを負傷。出場権を逃したが、最後までレースを戦い切り、多くの感動を呼んだ。世界の女子ダブルスに一つの時代を築いた名ペアだった。

 

取材・構成&写真/平野貴也

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