8月19日(水)、2016年リオ五輪女子ダブルス金メダリストの髙橋礼華/松友美佐紀(日本ユニシス)がオンラインによる記者会見を行ない、女子ダブルスとしてのペア解消、髙橋の現役引退、そして松友が混合ダブルスに転向することを発表した。ここでは、2人の会見の様子を数回に分けて紹介する。
――ここまでバドミントンを続けてきて得られたもの、やってきてよかったと思うことは? やり足りないと思うこともあればお願いします。
髙橋 私はやり残したことは本当にないです。もしあったら、この決断はできない。「もう少し応援したかった」と言ってくださる方もいるけど、私は、ここでやめることに悔いはないです。たくさんの人に応援してもらい、すごく幸せな現役生活だったなと思います。ここまで注目してもらうことは、バドミントンをやめた後はないでしょうし、こんな幸せなことはないです。ここまで注目されたのも、現役生活の中で頑張ってきたから。本当に悔いなく、やり残したことはないです。
松友 質問と違う回答になってしまうかもしれませんが、先輩がこういう決断をした時、私の中で“先輩にそう(引退する)と言われたら、私も同じような(引退の)気持ちになるかな”と考えたりもしていました。でも、実際に先輩から話しをされた後に、自然と自分の中に“バドミントンが好きで、これからもっともっとうまく、強くなっていきたいな”という気持ちがありました。まだまだ続けていきたい。そう思ったので、これからも、さらに頑張っていきたいなと思います。
――具体的にやり足りないものはないですか?
松友 私たちの2人のことに関しては、悔いなどあるはずがない。2人で話しましたけど、こんなに幸せなバドミントン人生はないと思っています。日本代表に入った頃は、今の自分たちの状況を考えることができないくらいレベルも低かった。そこからあきらめずに、2人の目標となる人たちに少しでも近づいて、少しでもいい試合ができたらいいなと思って、それが少しずつ近づくことができた。2人でバドミントンができたのは、幸せなことだと思っています。
リオが終わってから、自分たちの目標だった選手や、たくさん試合したライバルたちが引退しました。私たちも何度かそういう相談をしてきたこともあります。でも、2人で頑張ってやっていこうと思ってやってきました。何度も言ってしまいますが、一人の人として、一人のバドミントン選手としても、こんなに幸せなことはなかったと思います。私たちに関わってくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱい。やり足りないと思うことはないです。
――髙橋選手は先程、ジュニア世代に「メダリストだから伝えられることを伝えたい」と話していた。具体的にどういうことを伝えようとしているのか。
髙橋 私がオリンピックをめざしたいと思ったきっかけが、北京五輪で末綱聡子/前田美順ペアが、当時の世界ランク1位の中国ペアを破って準決勝までいった試合を見たからです。そこで“オリンピックってすごい場所だな”と思いましたし、こういうところで活躍できたらうれいしだろうな、すごいだろうな、と思ったのがきっかけでした。ぼやっとですけど、その先輩たちの試合を見て、オリンピックってすごいなって実感できました。
自分たちの試合を見て、オリンピックに出たいと思った人がいるかもしれないので、そうやって五輪をめざしたいと思った子たちに、「こういう気持ちで取り組めばいいよ」など、私だから話せることを伝えられたらいいなと思います。一番は技術より気持ちの持っていき方だと思いますし、そういうのを若い子たちの世代に伝えていきたい。「オリンピックはこういう所だよ。気持ちはこう持っていくんだよ」というのを伝えていきたいなと思います。
――髙橋選手は、タカマツペアの最大の強みや、他ペアにないものは何だと感じていますか。
髙橋 自分たちの強みはコンビネーション。プレーをしている時は、すごく力を入れて練習してきました。そこだけは、どのペアにも負けないと思っています。他の人たちにないものは……自分たちは体が小さいので、どうしてもパワーなどが足りないかなと思うけど、いい所を言えば、体が大きくなくても世界で勝っていけるんだよ、というのは伝えていきたい。それは、リオの決勝を見たらわかると思います(デンマークのリターユール/ペデルセンは180cm越え)。小さい体でも、体格が大きい選手などに立ち向かう時に「こうやって試合を組み立てていった」というのは、他の人たちが持っていないモノかなと思います。
――引退を決意する際、心と体、どちらの限界を先に感じたのか。また、以前「悔いなくできたら」と話していたが、悔いはないか。
髙橋 もちろん悔いはないです。私はやるといったらところんやるし、やらないと決めたらしっかり休むタイプ。心や体の限界というよりも、(五輪までの)あと1年、この気持ちをずっと持ち続けられるのか、来年もいいパフォーマンスが出せるのか、という不安がありました。もちろんやってみないとわからないけど、私の中でやると決めたら、金メダル以上のモノはなかった。それができるかどうかの部分で……私にはあと1年、気持ちが持つのかなというのがあった。やると決めた以上は、中途半端になるのが私は嫌。そういうことを考えた時に、練習が中途半端になったり、気持ちの持って行き方が少しズレるだけでも“違うな”と思ってしまうと考えたので、こういう決断になりました。
――松友選手は混合ダブルスをメインに現役を続けるということだが、今後の目標は?
松友 これまでも女子ダブルスと並行して混合ダブルスの試合に出ていましたが、その時は女子ダブルスのために出させてもらっていました。これからはミックスで、本当に一年一年が勝負になっていく。今の目標は、世界選手権で結果を残せるように頑張っていきたいと思います。
――髙橋選手が引退の決断をする際、松友選手やチームに伝える前に、他に相談をした人はいたか? 何かの言葉が、引退の決断につながったということはあるか。
髙橋 オリンピックが延期になってから、自分の中で“このまま続けるのは難しい”と思って、まずは両親に電話をしました。先程も話しましたが、父がリオに見にこられなかったから(この4年間を)頑張ってきた部分はあった。オリンピックに出る、出ないは別に(この1年を続けることに)“どう思う?”と聞いた時に、まず母が「あと1年頑張ってなんて、こっちも言えない。自分の好きにしなさい」と言ってくれました。父も同じような気持ちで言ってくれたので、自分の中で気持ちが、肩の荷が下りました。そこで私としては“もう一年頑張れ”といわれたらどうしようと、内心はドキドキしていましたが。
父はリオの時に(日本の)パブリック(ビューイングで観戦)でしたけど、母は現地で一生懸命に応援してくれて、優勝の瞬間を味わえただけでもすごく幸せといってくれたので……。父と母に聞いてよかったと自分で思ったので、そこからは誰かに相談はしていないです。自分の気持ちを決めてから(引退を)両親に話して、その後に松友に自分の気持ちを伝えました。
――今回の節目を迎えるにあたり、髙橋選手がバドミントンを始めた場所でもあり、応援してくれる方が大勢いる故郷・奈良への思いをお願いします。
髙橋 小学校を卒業してから宮城の中学・高校に進学したので、出身県が奈良であることを意外に思われることが多いです(苦笑)。私は奈良がすごく好きですし、奈良が昔はバドミントンが強かったのも知っています。引退後も、私は第二の故郷である宮城、そして奈良の両方で、バドミントンの普及だったり、お仕事をさせていただけたらと思っています。(リオ五輪の時は)奈良県の方がパブリック・ビューイングで応援していただいて、その後に地元に帰ってパレードをさせてもらいましたが、その時もたくさんの方にいろんな言葉をかけてもらいました。その時、関西っていいなってすごく思ったので、これからもいろんな形で関わっていければと思います。
――東京五輪の1年延期が、今回の引退の決断やモチベーションに与えたのか。
髙橋 それが一番というわけではないですが、“1年延期になるのではないか”という噂は聞いていました。それに、全英OP準々決勝の試合前にレースが中断になると聞いて、“もしかしたら、オリンピックが開催されないのでは”というのもありました。もしオリンピックも五輪レースもないとなった時に、(準々決勝の相手が)世界ランク1位の中国ペアだったので、これが最後だと思って、悔いなく戦おうとしました。それが結果的にいいプレーができて勝つことができたので、五輪延期が一番の理由ではなくて、最後の試合かもしれないって思った試合で、悔いなく終われたのが一番です。
本当は、9月のダイハツ・ヨネックスジャパンOPに出場して、皆さんの前で引退できたらと思いましたが、こういう状況なので仕方がない。だから、(引退の決断には)悔いなくプレーができた、というのが一番の理由です。
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取材・構成/バドミントン・マガジン編集部
写真/アフロスポーツ・日本ユニシス