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【記者会見-5】「金メダルを取って一番うれしかったのは、たくさんの方が自分たち以上に喜んでくれたこと(松友)」

8月19日(水)、2016年リオ五輪女子ダブルス金メダリストの髙橋礼華/松友美佐紀(日本ユニシス)がオンラインによる記者会見を行ない、女子ダブルスとしてのペア解消、髙橋の現役引退、そして松友が混合ダブルスに転向することを発表した。記者会見の終盤、4年前のリオ五輪で金メダルを獲得した日に会見を行なったことや、女子ダブルスの先輩たちについての質問などに答えた。


――2016年リオデジャネイロ五輪以降、国内外のライバルたちが自分たちのプレーを研究してきている、対応してきていると感じた部分はあったでしょうか。また、それを乗り越えるために取り組まれたことはありましたか。

髙橋 研究されるのはしょうがないこと。国内外問わず、(対戦相手を研究するのは選手なら)誰でもすること。それをはねのけてやっていかないと、やはり強くなれないと思っています。研究されているなというよりは、研究されていても、違うプレーをしたり、また研究されても同じプレーを貫かなきゃいけないときもあるし、新しいプレーをやっていかなきゃいけないこともある。ですから、特に研究されているなと感じることはあまりなかったです。

松友 年間を通してずっと試合をしているので、私たちは、相手がどうこうではなくて、自分たちがどうやったら今よりも強くなれるかということをめざしてやってきたので、そういうこと(研究されていると感じること)はないです。

――4年前の8月19日(日本時間)にリオ五輪で金メダルを獲得されました。その日を今回の会見日に設定されたことについて。また、あらためてリオ五輪での金メダルがお二人にとってどのようなものであったのかをお聞かせいただけたらと思います。

髙橋 正直、私は、日本時間の今日、メダルを取ったということをあまり意識したことがなかった。周りに言われて、そうなんだって(笑)。スタッフの方が考えてくださって、今日の会見となり、ありがたいなと感じます。4年前、金メダルを取った日に、こうやってお話できることは本当に幸せなことだなと思います。金メダルを取って……、そこで銀(メダル)だったら、もしかしてやめてなかったかもしれない。それはわからないですけど、金ってそれほど価値があるものなのかなとあらためて思います。

ただ、私は自分が金メダリストだという自覚がなくて。周りに言われて、“あっ、そうか”と思うくらい。もうちょっとしっかりしなきゃなと思うところもありますが、金(メダル)を取ってから、たくさんの人に知ってもらえて、たくさんの方に応援していただけた。こんなに応援してもらえることは、これからの人生ではもうないと思うので、すごくうれしいなと思います。

金メダルを取っていなかったら、ここまで知ってもらえていないし、応援されることもなかったと思うし、バドミントンをする方が増えて…ということもなかったかもしれないので、それだけのことをしたんだなと、昨日今日で、つくづく実感しています。ここまでバドミントン一筋でやってきてよかったなと思っています。

松友 今日、こういう日に、こういう場を準備してくださった関係者の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。バドミントンをやってきて、こんなふうに記念に残る日があるというのは、なかなかないと思うので、とても幸せなことだと感じています。

金メダルを取ることができて……やっぱり一番うれしかったのは、応援してくださっていた方々が、本当に喜んでくださった、あの景色がやはり一番うれしかった。自分たちが勝ったことで、たくさんの方が自分たち以上に喜んでくださったので、それが一番うれしかったです。

――2008年北京五輪でのスエマエペアの活躍、2012年ロンドン五輪でのフジカキペアの銀メダル獲得。先輩ペアには、本日の会見に先立ってどのようなご報告をされましたか? また先輩ペアからどんなコメントをもらったかなど共有いただければ。

髙橋 4人の先輩方に報告したというのはなくて。フジカキペアとは、末綱さんたちもそうなんですけど、私たちが代表に入ったときには、先輩たちはとっくに結果を出していて、偉大な先輩たちでした。まずはそのペアに追いつくのに必死だったなというのを今でもすごく覚えています。

特に垣岩さんとは小学生のときからすごく仲良くさせていただいて。シングルスですごく強かったので、あこがれていた先輩です。その先輩と違う種目でライバルになると思っていなかった。

全日本総合でフジカキペアは自分たちと対戦して終わりたいって言ってくれたり、自分たちと対戦したから悔いがないよって言ってくれた。そんなことを言ってくれる人はなかなかいないので…。藤井さんは東京にいるので、少し引退しようと思っているという気持ちの相談は少ししていました。藤井さんは、今まで頑張って来たことを知ってるから、「本当によく頑張ったね」っていう言葉を、いつもかけてくださって。どこかで心の支えになっていました。頼れる先輩だなと思っています。

これまでいろんなことを相談させていただいた先輩なので…、フジカキペアと対戦したときも、自分たちが先に泣いてしまうくらい。絆と言ったらおこがましいですが、フジカキペアとの今までの道のりというのは似ていて、ライバルでもあり、すごく先輩としても尊敬していた存在でもあります。私が引退するにあたって、どういうふうに思ってくださっているかわからないですけど、スエマエペアも含めて、先輩たちと戦ったことはすごく楽しかった。私たちがここまで来られたのも、北京オリンピックのスエマエさん、ロンドンオリンピックのフジカキさんがいたから。4人の先輩たちには感謝しています

松友 私たちが初めて代表に選んでいただいたとき、最初の頃は、合宿に参加しても、まったく相手にならない実力で。そのなかでも一緒に練習させていただいて。自分たちが入ったときに上の3ペアと一緒にできていなかったら今の私たちはない。

先輩方と試合がでできたことは、今思っても本当に楽しかったです。本当に、同じ時代に一緒にやることができて、幸せだったなと思っています。

――引退を決めた髙橋選手は、バドミントン競技で何か心残りはありますか。今は、やりきったという思いでしょうか?

髙橋 自分でも、8月末に引退してしまいますが、9月から練習にもいかなくなるわけで。試合を終わって終わったわけじゃないので、次の日も練習に行くのかなという気持ちになってしまうんじゃないかと思う。実感もまだ全然なくて…これからどうなるんだろうっていうのが正直なところ。やり残したことは…自分なりに振り返ると、中国の馬晋(マージン)選手に1回も勝てたことがないこと。馬晋選手はご飯に連れて行ってくれたり、試合も何回も対戦していて。彼女は途中からミックスダブルスがメインになって、女子ダブルスをすることが少なくなったんですが、記憶の中では1回も勝てていなかった。すごくあこがれの人であり、私は馬晋選手みたいなプレーをしたいって思っていたので。それだけが(心残り)。もう1回試合したいなというのはあります。

――松友選手が現役続行を決めた思いと今後の目標を教えてください。

松友 先ほどもお話しましたが、先輩の決断を聞いて、その上で…うーん…同じになってしまいますが、やっぱりバドミントンが好きで、もっとうまくなりたいと思う気持があったので、続けようと思うことは自然な感情だったかなと思います。

――髙橋選手が現役生活で貫き通せたものはなんでしょうか?

髙橋 私は、どちらかというと、練習で100パーセントを出して、オフはしっかり休むっていう(タイプ)。もちろん足りなかったら、自主練しようと思うのですが、どちらかというと、練習の中で、今日はこういうところを頑張ってみようとか自分で決めたことを、出しきって終わりたいタイプだったので、自主練とかはあまりするタイプではなかった。疲れたなりの自分の100パーセントを出したりというところでしょうか。もう疲れたっていうところで頑張ることって、当たり前のようで、できない人も中にはいると思うので、私はそういうところでも、練習を全力でやってきた。たとえば、2対2をしていて、相手が疲れているなと感じても、こちらは容赦なくやる。そこは胸を張れる。当たり前のことですが、そこをしっかり考えて、全部全力でやってきたから、こういう結果が出たのかなと思います。

あとは、何より、私たちはケガが少なかった。(2019年度)S/Jリーグで太ももをケガしましたが、それまで練習を長く休んだこともすごく少なかった。代表のコーチ陣にも、ケガが少ないことが自分たちの強みだよっていってもらった。そういうアクシデントが何もなかったので、それも自分たちの強みだったかなと思います。

練習に関しては、私だけじゃなくて、松友も絶対に手は抜かない。そういうところは、常にバドミントンのことを考えて、やりきれたなと思います。

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取材・構成/バドミントン・マガジン編集部

写真/アフロスポーツ・日本ユニシス

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