8月19日(水)、2016年リオ五輪女子ダブルス金メダリストの髙橋礼華/松友美佐紀(日本ユニシス)がオンラインによる記者会見を行ない、女子ダブルスとしてのペア解消、髙橋の現役引退、そして松友が混合ダブルスに転向することを発表した。ここでは、2人の会見の様子を数回に分けて紹介する。
――2人の初めての出会いについて。当時のお互いの印象、また、ペアとして栄光の時を過ごし、今、どういう存在となっているか。
髙橋 初めて出会ったのは小学生の時。何年生だったかは覚えていないのですが、私の奈良県のジュニアと松友の徳島県のジュニアと練習試合をしたり、オープン大会で会ったりすることがあって、交流はありました。でも中学も別々で、まさか高校で松友がウルスラに入ってくるなんて。当時はお互いにシングルスをやっていたので、きっとお互いにシングルスで上にいくんだろうなっていうのがあったので、一学年下に強い後輩が入るっていうのは、怖い存在でした。でもまさか、その松友とペアを組むというので、すごく驚きました。後輩と組んだこともなかったので、どうやって引っ張っていけばいいんだろうと思ったり。松友と組むということは、ダブルスを頑張らなきゃいけないんだと考えたことを、今でもすごく覚えています。
田所先生が私たちを組ませていなかったら、今の私たちはないので、そうやって巡り合わせてくれた田所先生にも感謝しています。高校生の時は、ある程度勝つことができたものが、社会人になって世界を見るようになり、なかなか勝てない時期だったり、ロンドン五輪もめざしていたけど先輩たちより出遅れて、なかなか結果が出なかったりと、苦しい時期もありました。でも、いろんな先輩たち…スエマエさん(末綱聡子/前田美順)やフジカキさん(藤井瑞希/垣岩令佳)がオリンピックで活躍するのを見て、“次は絶対、私たちが金メダルを取る”というのは、口に出さなくても、きっとお互いに心の中で思っていたことだと思います。目標や強い気持ちが、ここまで同じになることは本当に少ないことだと思うので、本当に感謝しています。
松友 私の記憶の中での最初の出会いは、私が小学校3年生で先輩が4年生のときの全国ABC大会だと思います。全国大会に初めて出場して、そこで先輩が、同学年の中で断トツで優勝しているのを見て、“いつか試合がしたいな”と思っていました。そこからジュニアチーム同士の交流があり、話しをする関係になりましたが、まさか、チームメートとしてバドミントンをするとは思っていなかったです。それにダブルスで、ここまで長い間一緒に同じ目標を持って頑張るパートナーになることも想像していなかったので……幸せな人生だなと、改めて思います。
先ほど先輩が言っていたように、高校で一度組み替えをするとなった時に、田所先生がこのペアを組ませていなければ、今の私たちはない。そこからも、いろんな人のおかげで今の私たちがいます。先輩には、感謝の気持ちという言葉では足りないくらい……感謝しています。
――リオ五輪を終えた時点から、髙橋選手は4年後をめざすことの難しさを覚悟していました。その中で、あえて五輪連覇に挑戦してきましたが、その中で何を得られた、何を見せられたと感じていますか。また、この4年間は、ケガや疲労などで苦しい歩みだったと思いますが、その中でペアのお互いのどんな姿から、どんな刺激を受けましたか。
髙橋 勝つことが当たり前ではないというのは、すごく実感しました。やっぱり五輪レース中も1回も優勝できなかったり、決勝まではいくけど勝てなかったり、そういうのがすごく多かった。この4年間で、簡単には勝てないことをあらためて実感しました。
(パートナーから受けた刺激について)今回もですが、私が引退すると話した時に、「一回考えます」と答えてくれました。その数日後に、私の気持ちはわかったと了承してくれて、その中で松友は「バドミントンが好きなので、まだ続けます」と聞いた時に、やっぱりバドミントンに対してすごくストイックだなと思いました。リオまでも、リオから東京までも、松友は全然変わらないなって。そこが一番尊敬できるところです。私自身は、やると決めたらやるけど、休むと決めたら休んでしまうタイプ。松友選手は常に、オフの時も、遠征が終わっても、ずっとずっとバドミントンのことを考えている。私以上にバドミントンに対して熱い人なんだろうなというのは、すごく思っていました。そこは何年経っても変わらないだろうなと思います。これから、ミックスダブルスをすることになりますが、そこでも松友のバドミントンへのストイックさは、相手に通用すると思いますし、誰よりも熱いんだろうなと感じているので、そういうところは本当に、ずっと尊敬しています。
松友 これまでオリンピックに向けて、と話してきましたが、正直、リオが終わってからの4年間は、私の心の中では、ペアとして目標にする形だったりプレーに、どこまで近づいていけるかというのが大きな目標でした。その中で、今年の全英OPで中国ペア(陳清晨/賈一凡)と対戦した時は、とても納得できるプレーができたと思います。先輩だけでなく、そこは私もとても満足した部分があります。自分たちが今までやってきた中で、そういうことを得られるプレーができたのは、とてもうれしかったです。リオからの4年間は、自分たちが想像していた以上に難しい時間でしたが、やってみなければわからなかったことをたくさん経験することができた。これからの人生において、とても大切な時間だったと思います。2人でやってこれて、本当によかったです。
――リオ五輪までの4年と比べて、東京五輪まで4年間はどのような日々だったか。苦しかったことも多かったと思うが、その中で印象的な試合などはあったか。
髙橋 この4年間というより、いままで世界選手権に出た中で、1回しかメダルを取れなったことは(17年に銅メダル)、自分の中では少し引っ掛かるところではあります。去年の世界選手権でも、ここに勝てばメダルというところで中国ペアとすごく長い試合をして負けてしまった。それが自分の中では、一番印象に残っている試合だと思います。私は後衛で打って動く方なので、人より体力があるほうだと思っていましたが、思った以上に試合が長くて“もう試合をしたくない”と思ったのがこの試合(笑)。すごく印象に残っています。世界選手権で一度も金メダルを取れなかったというのは、長い試合をしても勝てないというのとリンクする部分があったと思うので、それはすごく印象に残っています。
松友 この4年間を全体として振り返ると、つらいことや苦しいことのほうが圧倒的に多かったです。でも、本当にあきらめず、先輩と2人で、少しずつ少しずつやってきて……その過程が、何よりも、先輩との思い出です。印象的な試合は……一つに決められないので難しいですが、この4年間ではなく、これまで2人で組んできた中で、今パッと言われて本当に一番印象に残っているのは、インターハイですね(笑)。
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取材・構成/バドミントン・マガジン編集部
写真/アフロスポーツ・日本ユニシス