7月4日、男子シングルスで2度のオリンピック金メダル、世界選手権5回優勝の実績を持つ林丹(リン・ダン)が、中国代表から離れることを発表した。
これまで、男子シングルスで数多くの栄光を手にした林丹。オリンピックでは2008年北京、2012年ロンドンで金メダルを獲得したほか、世界選手権では同種目最多となる5優勝を達成した。伝統の全英OPでは6回頂点に立ち、スーパーシリーズやアジア大会、アジア選手権などのタイトルも奪取。団体戦では中国のエースとしてトマス杯やスディルマン杯で世界一に大きく貢献し、個人・団体すべてのビッグタイトルを手中に収めている。現代のバドミントン選手では間違いなく最高のキャリアを持つ“キング・オブ・バドミントン”。唯一無二の存在だ。
ジュニア時代から、すでに王者の風格は備わっていた。2000年6月、16歳で中国のジュニア代表に選出された林丹は、その2カ月後のアジアジュニア選手権(開催地は京都)で男子シングルスを制覇。その年の世界ジュニアは銅メダルに終わったが、この頃から豪快なジャンプスマッシュで世界の注目を集めていた。
2001年にはシニアの国際大会でデビューを飾り、同年のアジア選手権では決勝に進出して準優勝。翌年韓国OPでは18歳で初優勝を飾るなど、10代ながら高い攻撃力と俊敏なフットワークで、母国のトップ選手、海外のライバルたちを蹴散らし続けた。
初のオリンピックは2004年のアテネ五輪。当時世界ランクでトップだった林丹が第1シードに入るも、その初戦でシンガポールのロナルド・スシロにまさかの敗戦。プレッシャーを前に本来の動きができず、母国の期待を裏切る形に終わった。しかし、その黒星こそが、最強左腕の闘志に火をつけることになる。4年後に地元中国で開催された北京五輪では、ライバルたちを撃破してリベンジ優勝。世界選手権では06、07、09年を制して史上初の3連覇を達成するなど(08年は五輪で実施せず)、男子シングルスで黄金時代を築き上げていた。
中国代表には、ジュニア時代も含めて20年在籍。30代にさしかかった2012年ロンドン五輪では、決勝でリー・チョンウェイ(マレーシア)を下して2つ目の金メダルをつかんだが、その後はモチベーションの維持に苦戦。トップレベルの実力を持ちながら、国際大会から離れる時期もあった。しかし、その度に気持ちを高めてコートに戻ってきては、ブランクを感じさせないプレーで好結果を連発。ファン、そして選手たちにも「林丹、強し」の印象を残し続けた。
2016年リオ五輪では、バドミントン史上初の五輪3連覇に挑むも、準決勝で長年タイトルを争ったチョンウェイとの死闘に敗北。3位決定戦では、当時の新鋭だったビクター・アクセルセン(デンマーク)にも屈し、オリンピックの栄誉あるメダルを逃すことになる。
林丹もいよいよ引退か――。
リオ五輪後、現役を続行して国際大会にも出場し続ける林丹だったが、世界中のメディアが注目したのは去就問題。世界選手権やトマス杯などで活躍しても、林丹のミックスゾーンでは必ずといっていいほど「いつまで現役を続けるのか?」という質問が飛び交う。時には、「後輩たちに道を譲る考えはないのか?」「以前のようなプレーができていない」といった手厳しい言葉を、国内外のメディアから投げかけられることもあった。
30代に入ってからは全盛期ほどの豪快さは見られなくなったが、王者は王者の振る舞いでコートに立ち続ける。ショットの強弱、的確なポジショニング、巧みな駆け引き。母国にも、海外にも新しいスター選手が生まれる中で、林丹はベテランの戦い方で勝ち星を手にしていった。2017年世界選手権では銀メダル。18年全英OPも優勝は逃したが、若手らを退けて決勝の舞台に立ってみせた。19年4月のマレーシアOP(Super750)では、決勝で同郷の諶龍(チェン・ロン)を下して優勝。この時35歳だった林丹にとって、これが最後の上位大会でのタイトルとなった。
王者から後輩たちへの宿題
厳しい道のりではあったが、昨年の時点では林丹にも5回目のオリンピック出場の可能性が残されていた。だが、マレーシアOPで久々の歓喜に酔いしれた2カ月後、好敵手であり続けた1歳上のチョンウェイが引退を表明。2000年代を彩ったレジェンドは林丹一人を残すのみとなった。すると、夏以降の成績は下降線を描くようになり、上位大会では1、2回戦敗退が続き世界ランクもダウン。今年3月には19位まで落ち込み、東京五輪は大きく遠ざかっていた。
2020年7月4日。新型コロナウイルスの影響で国際大会が中止・延期となる中、林丹は突然、進退に対する考えを世界に発信した。それが、中国代表からの離脱。自身の中国版SNSには「(10月で)37歳の私の体には痛みがあり、体力的にも仲間と一緒に戦えなくなっていた。(今後は)家族と過ごす時間をたくさん作りながら、新たなステージを探していきたい」と綴っている。実質の引退表明。あきらめず前に進もうとする英雄の、切ない決断だった。
記録と記憶。林丹はその両方を、世界中のファンの脳裏に刻み込んだ。コートにその姿はなくても、今後は世界中の後輩たちが見えない王者に挑戦することになる。「俺を超えてみろ」という、偉大なレジェンドからの置き土産。選手にとってはやっかいでも、それを見守るファンにとっては、新たな楽しみになるだろう。
文/バドミントン・マガジン編集部
写真/Getty Images