12月1日に開催された『第70回全日本総合バドミントン選手権』(東京・代々木第二体育館)3日目は、各種目2回戦が行なわれた。女子シングルスではリオ五輪・銅メダリストの奥原希望(日本ユニシス)が、右肩痛のため2回戦の鈴木温子戦(ヨネックス)を途中棄権することになった。
試合後、会見場に姿を現した奥原は、途中キケンに終わった心境を語っている。小宮山元・日本ユニシス女子監督からの状況説明とともに紹介しよう。
小宮山元・日本ユニシス女子監督の話
「正直にいえば、もともと試合に出られるような状態ではなかったんですが、その中でエントリーして、出場したという状況です。全日本総合は日本一を決める1年で一番重要な試合ですし、本人も簡単にあきらめがつかない状況で、いまできることをなんとかやるということでトライして1回戦に勝ち、今日もトライしてみました。
これ以上の悪化は避けたかったので、もともと思いきったクリアーやスマッシュを打たないという約束のうえで試合に出ていたんですが、今日の1ゲーム目、点数が欲しいところで少し打ち始めていました。2ゲームに入るときに、打つのを我慢できるのであれば続けていいと伝え、本人も我慢してなんとかする、といったんですが、2-11のところで、これ以上の悪化は食い止めたかったので、本人はまだやれるという強い気持ちがあったと思うんですけど、僕のほうでストップさせていただきました」
奥原希望一問一答
――いまの心境は?
棄権という形で全日本総合が終わってしまったことは、自分の中で本当に悔しいですし、すごく残念です。
――症状名や今後の治療方針などは?
MRI検査をして、もっと詳しく調べるかどうか悩んでいたところで、でも全日本総合があるので検査を中断して、リハビリと練習に励んでいたという状況です。今後はドクターや監督をはじめ、トレーナーなどと相談しながら決めていく予定です(会見のあと、MRIで出血などは確認されておらず、肩の炎症であることが補足された)。
――監督から試合に出られるような状況ではなかったとあったが、それでも出場を決断した経緯を。
監督もおっしゃっていたように、全日本総合は日本で一番を決める格式ある大会ですし、自分も高校生のときに初めて出て、この舞台は特別だったので、出場しないという決断には簡単に至りませんでした。肩との相談でしたが、自分の“絶対に出たい”という強い思いを汲んでくれて、コートに立てたのはすごくうれしかったですが、最後まで戦いたかったです。
――試合の中で、どういうプレーをすると痛みが出るのか?
中国OPから帰ってきてリハビリを続けて、だんだんよくなってきていて、痛みは絶対に出ないように自分の中で制御していました。たぶん強打すると出てくると思うんですが、監督はじめ、トレーナー、ドクターから絶対にそこは無理するなといわれていて、自分でもそれはわかっていました。なので、肩の痛みが出ないように、その中で自分ができること―頭だったり、体だったりで勝負していこう―と決めて、この大会に臨みました。
――昨日の試合後、ヨネックスOPジャパン(YOJ)のときから痛みが出たといっていたが、それは試合中のものか。またその後の痛みの推移は?
YOJの試合期間中に徐々に痛みが出てきて、デンマークOP、中国OPと遠征があって、それぞれの遠征に照準を合わせようとリハビリをして、実戦形式の練習も少し行ないました。トレーナーや監督、代表の監督とも話しながらやっていましたが、やはり実戦形式の練習に入ったときに悪化してしまって、また打てなくなってしまうというのを繰り返してしまいました。
――来年の2・3月に代表の試合があるが、今後どういうプランを考えているか。
昨日の試合後、この大会が来年のスタートになるといったのは、代表の選考もあるからです。そこはどうなるかわからないのが正直なところなので、それ(代表漏れ)も覚悟して大会に臨んでいました。もちろん、来年の2月の大会(アジア混合団体選手権)に、もしも出られる立場にあるのなら、そこに間に合わせられるようにと思っていますが、でも自分のいまの最大の目標は4年後の東京五輪なので、この期間、肩としっかり相談しながら、また体を鍛え直して4年後、また、その前のレースをしっかり戦いきれるようにしたいと思っています。
――ここまでいろいろなケガに苦しみながらここまで来た。このケガをどうやって、乗り越えていくのか。
バドミントンができないということが、またくるというのは本当に思っていなかったので、すごくオリンピックが終わってからが苦しくて…。でも、リオまでの4年もそうでしたけど、東京までの4年も絶対に順風満帆にはいかないと思うので、この壁をしっかり乗り越えて、また輝ける舞台をめざして頑張っていきたいです。