真夏の高校生の夢舞台、インターハイ。今年は8月8日(月)から競技がスタートする。「バド×スピ!」では連日ニュースをお届けするが、ここではIHを経験して、その後、トップレベルで活躍を遂げた選手へのインタビューを紹介する。第1回は、北京五輪、ロンドン五輪にも出場した池田信太郎さんです。
「印象に残っているのは、とにかく暑かったこと!」(池田)
Q:池田さんにとって、「インターハイ」とは?
インターハイは、青春でしたね! 九州国際大付属高が強豪ではなかった時代で、ベスト16に入れば…という感じでした。でも、僕らの世代はチームでベスト8に行きたい、そこから少しでも上に行きたいという気持ちが強かったんです。
たぶん、僕が3年生のときが一番強くて、黄金時代だったと思います。春の選抜では、団体2位、シングルスも3位。そこである程度の手応えを感じて、団体でも個人でも、優勝に少しでも近づきたいという気持ちでやっていました。
僕はキャプテンとして引っ張っていたけど、みんなモチベーションが高かったし、やらされる練習より、自分たちでやる練習のほうが多かったかな。当時の監督は「このメニューをやりなさい」ではなく、「どういう練習をしたいんだ」と相談しながら決めてくれる方でした。
いま考えると、その指導方法だったから、「どうやったら勝てるのかな」とか、「自分たちのストロング・ポイントって、どこなんだろう」とか、いろんなことを考えて取り組めた。その結果、自主性が育った部分はあると思います。そこは、高校時代に学びましたね。
もちろん、コーチに注意されることはありました。でも、怒鳴られたり怒られたりというのは、経験したことがない。だから、怒鳴ったりする指導法って、ぼくのなかではないんですよね。
Q:高校3年夏、インターハイの思い出は?
高校1年のときは団体戦に出られたけど、2年、3年は個人での出場。本当は、団体戦で一番勝ちたかったんですけど……。
3年生のときは、優勝をめざしていました。結果は、シングルスが3位、ダブルスがベスト8。まあ、でも、よく3位になったなという感じです。夢を持ちながら練習していたけど、環境的にはコートが2面しかなくて、女子部のコートを借りて練習していましたから。いま振り返ると、あの環境でよく強くなったなと思います。優勝はできなかったけど、あそこまでいけたのは、いいほうだったんじゃないかな。
ぼくは、中学校では全国大会に出ていないので、インターハイと選抜は「全国大会で活躍できたターニングポイント」といえますね。インターハイで入賞したことで、筑波大学やほかの大学からお誘いをいただきましたし、ジュニアナショナルメンバーにも選ばれたので、日中韓の対抗戦にも出してもらいました。そこではまったく勝てなくて……。でも、そこで初めて「世界」にふれたのはよかったです。
インターハイでほかに印象に残っているのは、とにかく暑かったこと。出場する選手のみなさんも、熱中症には気をつけてください!
Q:インターハイに出場する選手に、メッセージをお願いします!
インターハイって、その瞬間だけ一緒に戦えるチームなんですよね。勝つことをめざしていくことは変わらないけど、3年生が抜けて1年生が入ってくる、入れ替わりのタイミングでもある。3年生は、それぞれ大学や社会人へと散らばっていく。高校時代のいましか共有できない貴重な時間。だからこそ、悔いを残さないように頑張ってほしいです。
もう少し先のことをいうと、今年のインターハイに出る世代は、2020年のオリンピック世代になってくる可能性もある。そこに向けて夢を持って、希望を持って、プレーしてほしいと思います。
◎IH成績
1年時/団体16強
2年時/シングルス2回戦・ダブルス3回戦・団体16強
3年時/シングルス4強・ダブルス8強・団体8強