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「この大会は全英の次に大事な大会」 ヨネックスOPジャパン〜playback ’80s①

来週の9月8日(火)から13日(日)までヨネックスOPジャパン2015が開催される。今年はリオ・デ・ジャネイロ五輪に出場するためのレース期間ということもあり、世界のトップ選手が多数参戦する予定だ。

 

白熱が予想されるヨネックスOPジャパンは今年で34回目を迎える。ここでは、ヨネックスOPジャパンをさらに楽しむために、80年代、90年代、00年代の3つに分けて、当時活躍した強豪選手や大会の様子を振り返る。

 

第1回は、ヨネックスOPジャパンが開催された80年代について、いくつかの大会をピックアップしよう。

 

【第1回大会】 1982年・兵庫県神戸市

第1回大会は1982年に『ヨネックスカップ・ジャパンオープン』として兵庫県神戸市で開催された。この大会が始まる3年前から『ワールドカップ』という名称で、海外のトップ選手を招待した国際トーナメントを実施していたが、82年からヨネックスが冠スポンサーとなり、国内初となる賞金付きの大会としてスタートを切った。

ヨネックスカップの賞金総額は1000万円。これは当時の最高賞金とされたマスターズ大会(約1200万円)に次いで2番目に賞金が高い大会となり、世界でも一躍有名になった。高額賞金の影響もあってか海外から参加する選手も多く、プロ選手が多い欧州選手などを含む13カ国からトップ選手が集まった。そして、優勝をかけて激しいバトルを日本のファンの前で披露している。

 

記念すべき第1回大会を制したのは、男子シングルスがスウェーデンのトーマス・キールストロム。元々はダブルスを主戦とする選手だったが、本業は8強止まり。それでも、シングルスで勢いよく勝ち進むと、準決勝で日本の長谷川博幸(現ジュニアナショナルコーチ)を下し、決勝ではイングランドの若手バドレーを打ち破って見事優勝。「この大会は全英の次に大事な大会とだと考えている。第2の目標ではあるけども、それをシングルスで勝てたことはうれしいし、同時にびっくりしている」と優勝の感想を語り、賞金100万円を手にしている。

賞金100万円の小切手を手にしたキールストロム(1982年バドマガ3月号より)

 

女子シングルスでは中国の新鋭・李玲蔚が優勝を果たした。当時18歳の李玲蔚は「中国では上位に入っていない2番手グループの選手」だったが、あれよあれよと勝ち上がり、決勝では日本の東海林文子を下して国際大会初優勝を飾った。「満足しています」と笑顔で答える李玲蔚だが、その愛くるしい顔立ちから日本での人気も急上昇していた。

女子シングルスを制した李がバドマガの表紙を飾った。この優勝をきっかけに、李は世界のスターダムを駆け上がった(1982年バドマガ3月号より)

李玲蔚はのちに世界選手権、全英選手権を優勝し、一躍世界トップの仲間入りを果たしている。ヨネックスカップの優勝が、李玲蔚にとっての大きな転機となっており、女王となった後も日本の地に訪れては優勝を飾り、その実力を日本のファンの前で披露している。

 

ホーム初開催で活躍が期待された日本選手は、女子シングルスの東海林(準優勝)、男子シングルスの長谷川(4強)、女子ダブルスの米倉よし子/徳田敦子(4強)が上位に入ったものの、もっとも手にしたかった金メダルはゼロ。国内での大きな国際大会で惨敗スタートを切ってしまい、その後も日本勢は地元開催ながら苦戦を強いられることになる。

※第17回大会よりヨネックスオープンジャパンと名称を変更

 

ヨネックスOPジャパン〜playback ’80S②は、今日の夜にアップ予定です。

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