インターハイ打ち立てた金字塔
男子団体8連覇——。2000年以降のインターハイにおいて、「埼玉栄」の名前は燦然(さんぜん)と輝き続けている。前人未到の偉業を達成したのは05年から12年。その間に活躍した選手のなかには、現在日本代表として世界で躍動している田児賢一(現NTT東日本)、上田拓馬、井上拓斗/金子祐樹(現日本ユニシス)らがいる。
埼玉栄のIH初優勝は03年だ。当時はそれまで関東第一(東京)が団体4連覇を続けており、埼玉栄は高校選抜やIHの決勝まで上り詰めるも、関一の前に何度も苦杯を嘗め続けていた。しかし、この年はIH前の春の選抜で初めて関一を下して優勝をつかんでおり、夏もその勢いを持続させて頂点に立つ。そしてこの優勝をきっかけに、埼玉栄のヴィクトリーロードがいよいよ眩い光を放つのである。
04年こそ再び関一に優勝旗を手渡すことになったが、翌年の千葉IHでは個人ダブルスで優勝を果たした三橋智希(現日立情報通信エンジニアリング)/林純司、2年の上田拓馬らを中心にV奪還に成功した。このとき、1年生には全中ダブルス2連覇の田児が加入しており、団体戦メンバーとして出場。大物ルーキーは団体決勝のコートにも立ったが、上級生相手にも危なげなく勝利を収めている。
06年奈良IHでは、上田拓馬、佐々木啓ら中学生から実績を残したメンバーを中心に優勝を遂げた。このとき、2年の田児も春の選抜で単複優勝を果たすなど戦力として十分な力を備えていたが、3年生は「後輩の力に頼らずとも優勝できる」と、2年生エースを個人戦に専念させた。栄には小・中学校と全国で結果を残した選手が集まるだけに、他校に比べて突き上げてくる後輩のプレッシャーは相当なもの。それでも、毎日の練習が全国レベルであるからこそ、その中でつかんだ自信が「自分たちの力でも勝つ」という意地につながったのだろう。王者にありがちな“慢心”が生まれにくい環境が栄にはあるのだ。
そういった先輩たちの背中を見続けるからこそ、強者の伝統は自然と後輩たちに受け継がれていく。
07年は3年になった田児/松丸を軸に牙城を固め3連覇を達成。08年には和田周(現JTEKT)と佐藤黎(現NTT東日本)が地元の埼玉IHで主役を飾り、それまで関一が築いた4連覇に並んだ。さらに09年の大阪IHでは、星野翔平(現NTT東日本)/小林晃(現金沢学院クラブ)が先輩たちの栄光を着実につなぎ、5連覇という誰もなし得なかった金字塔を打ち立てている。
途切れた連覇。そこからのスタート
6連覇、7連覇、そして8連覇。栄は確かな記録を刻み、それと同時にそれぞれのドラマチックな戦いでIHを盛り上げた。とりわけ記憶にも残る名勝負を演じたのは7連覇を達成した11年の青森IHだろう。この年はアジアジュニア銅メダルの2年生エース桃田賢斗(現NTT東日本)を軸にした福島の富岡(現富岡ふたば未来学園)と準決勝で対戦。ダブルス、シングルスそれぞれが星を分け合い、勝負は井上拓斗と松居圭一郎の第3シングルスにもつれた。そして第1ゲームから接戦となり、富岡の松居が17—14とリード。会場にも富岡の勝利、そして栄の敗戦という空気が流れた。
しかし、王者のプライドは敗北を許さなかった。井上は劣勢からねばり強く追い上げると、デュースに持ち込んで23—21と逆転に成功。さらに畳み掛けた井上が2ゲームを圧倒し、ライバルを打ち破って決勝に進出。そのまま頂点をつかんでいる。
8連覇は富岡優勢の下馬評を覆してみせたが、13年の福岡IHではその富岡に屈し、ついに連覇は途切れてしまった。ただし、このときも一進一退の攻防で「栄」らしさを出し切った。3面のコートを使って決勝は行なわれたが、2時間に及ぶ激闘に会場からは万雷の拍手が両チームに送られている。
昨年は準決勝で富岡に敗れて連覇を許した。しかし今年は8連覇を達成した伝統校の意地とプライドが、例年以上に湧き上がっているはず。先輩たちが築いた栄光の道に再び立つため、埼玉栄の選手は明日からのインターハイに挑む。